インドネシアの空港だったと思うが、飛行機の搭乗を待っていると、近くにアラブ人の若い夫婦が座った(一般的には「若い男女」だが、アラブでは婚姻関係になければいっしょに旅行できない)。口ひげをはやした男性はごくふつうの半袖シャツを着ていたが、妻は顔を隠しスリットのような隙間から目だけを出したニカブ姿だった。
私の前に、バックパッカーらしきヨーロッパ系の若い女性が座っていた。ショート丈のタンクトップに短パンという、どちらかというと下着に近い格好をしていた彼女はときどきアラブ人の夫婦に視線を投げかけるのだが、その表情には、こちらが心配になるくらい露骨な軽蔑と憎悪が込められていた。欧米ではニカブや(全身を覆い目の部分を網状にした)ブルカは女性抑圧の象徴とされており、妻にニカブを強要するアラブの男は女性虐待者であり、それに唯々諾々と従う妻は“奴隷”の身分を喜んで受け入れているのだ。
ずいぶん前の体験を思い出したのは、ニースでのテロ事件を受けて、ヨーロッパでブルカや、ムスリムの女性が海水浴場などで身につけるブルキニを法で禁止する動きが広がっているからだ。
ブルキニは身体の線を出にくくした長袖・長ズボンの水着で、ムスリムの女性が海水浴のときに着用する。これまで公営プールでは「衛生上の理由」から禁止されることもあったが、海水浴場では周囲に迷惑をかけないかぎりなにを着てもいいはずで、とくに問題とされたことはなかった。
先陣を切ったのはニースに近い観光地のカンヌやヴィルヌール・ルベなどで、「治安上の問題」を理由に公共のビーチでブルキニの着用を禁止する条例が次々と施行され、それに対して行政裁判の最高裁にあたる国務院が「信教と個人の自由という基本的自由を、明確かつ違法に侵害する」として凍結を命じるなど、混乱が広がっている。
またドイツでは、与党キリスト教民主同盟(CDU)が、「全身を覆う洋服を着た女性はドイツ社会には似つかわしくない」として、ブルカ禁止を検討していると報じられた。この問題を私たちは、どのように理解すればいいのだろうか。

なぜフランスの公立学校でヴェールの着用が認められないか
ヨーロッパに暮らすムスリム女性の服装をめぐる軋轢は、1989年にフランス社会を揺るがしたヴェール(スカーフ)事件にまで遡る。地方都市の公立学校に通うムスリムの女子中学生3人がヴェールをかぶって登校し、学校(校長)の度重なる説得にもかかわらず校内でヴェールを脱ぐことを拒否したため教室内に立ち入ることを禁止された事件で、フランス社会を二分する大論争に発展したから、これについては日本でも多くの文献がある。
なぜフランスの公立学校でヴェールの着用が認められないかというと、フランス共和国の根幹にある「ライシテ(非宗教性)」の原則に抵触するからだ。だがその一方で、隣国ドイツや海を隔てたイギリスでは、ヴェールをかぶって公立学校に通うことが当たり前に認められており、それでなんの社会的混乱も起きていない。イギリス人やドイツ人は、フランスのムスリムに対して、「こんな当たり前のことすら認められないなんて、フランス政府はおかしい」と同情する。こんな状況では、「ライシテ」がムスリムへの差別を隠蔽するていのいい言い訳だとみなされても仕方がない。
これまでヴェール事件は、フランス国家の内部でのイデオロギー対立として語られてきたが、この問題を理解するためには視野をヨーロッパ全体に拡大する必要がある。なぜならフランスのムスリムは、イギリスやドイツ、北欧やオランダ、ベルギーなど、ヨーロッパの他の地域に暮らすムスリムと自分の境遇を比較しているのだから。
だがこうした発想はヨーロッパの専門家からは出てこないようで、ヴェール問題の国家間比較を試みたのはアメリカの社会学者クリスチャン・ヨプケだった(『ヴェール論争』法政大学出版局)。
議論の前提としてヨプケは、ヨーロッパにおけるヴェールには3つの異なる意味があるという。
ひとつめは「移民のヴェール」で、故国への郷愁や出自のアイデンティティを維持するために年配のムスリム女性が身につけるものだ。これはヨーロッパ社会でも問題なく受け入れられており、政治(イデオロギー)論争になることもない。
ふたつめは、娘のセクシャリティを管理するために親によって課されるヴェールで、これが「女性への抑圧」と見なされるのだが、その一方で若いムスリム女性にとって「解放の可能性」をも意味しているとヨプケは指摘する。若いムスリム女性はヴェールをまとえば「外に出る」ことが許され、郊外の同世代の友人や、自身の家族などの周囲の男性によるハラスメントから保護されるからだ。「若いムスリム女性にとって通常は無縁である、家庭の外で人生の成功を得ようと努めること――が許されるのは、まさにヴェールのおかげなのである」。
三つめはもっとも矛盾をはらむ「自立のヴェール(誇示的ヴェール)」で、自己を主張する16歳から25歳までの若いムスリム第二世代が自由意志にもとづいて選び取った、「イスラームのアイデンティティ」の表現だ。
だがこの「自立のヴェール」は、ただちに「反フランス」というわけではない。そればかりか研究者は、「(自立のヴェールを着用するのは)進学を通じて、あるいは下層中流階級としての自身の地位を通じて、フランス社会に最も「統合された」人々」だと述べている。彼らにとってのヴェールは、「フランス人でありつつムスリムでもありたい、近代的でありつつヴェールで顔も覆いたい、自立した個でありつつイスラム風の服装も身につけたいという欲求」の表われなのだ。
だがそれ以外にも、「自立のヴェール」はさまざまな意味を持っている。ある場合は「人種差別反対」の異議申立てであるかもしれないし、別の場合は(イスラーム国家の樹立や厳格なシャリーアの実施など初期イスラームの時代の理想に還ることを求める)サラフィー派原理主義の宗教心の表明であるかもしれない。
それに対してリベラルな近代国家は、「第三者の権利が侵害されないかぎり、信教の自由を保護し、国民個々の内面(宗教心)に介入してはならない」という原則を守らなければならない。ヴェールが女性に対する抑圧なのか、自主的に選び取った宗教的シンボルであるかは当の女性が決めることで、それに対して国家は沈黙を守らなければならないのだ。
ヴェール問題とは、こうしたリベラルの原則に対する挑戦であるとヨプケはいう。そしてこの挑戦に対し、フランス、ドイツ、イギリスはそれぞれ異なる対処法を見出した。では次にそれを見てみよう。

次のページ>> 共和政(ライシテ)とイスラームの政治的なイデオロギー対立
|
|