ジェームズ・ナクトウェイに会ってきた

 「たった一度でいい。世界中の人たちが戦場を自分の目で見たら、リン火剤で焼かれた子どもの顔、一個の銃弾によってもたらされる声も出ないほどの苦痛、手榴弾の爆風で吹き飛ばされた足。そんな恐怖と不合理と残虐さを、皆が自分の目で見れば、戦争はたった一人の人間にさえ許されない行為を万人にしているのだと、きっとわかるはずだ。

 でも皆は行けない。だから写真家が戦場に行き、現実を見せ、事実を伝え、蛮行を止めさせるのだ」

 引用したこのフレーズは、2003年に公開されたドキュメンタリー映画『戦場のフォトグラファー(war photographer)』(監督クリスチャン・フレイ)の終盤で、被写体である戦場写真家のジェームズ・ナクトウェイがカメラに向かって、一語一語を区切るように語った言葉だ。

 ナクトウェイが撮る写真は、それまでも何度か目にしていた。崩れ落ちた直後のワールドトレードセンタービル。コソボやルワンダなどの内戦や虐殺。スーダンやボツワナの飢餓。これらの現場を至近距離から伝える彼の写真は、目を覆いたくなるほどに凄惨で無惨で、そしてどこかしら絵画的な美しさがあった。だからずっと、どんな人なのだろうと思っていた。

 『戦場のフォトグラファー』で初めて見たナクトウェイその人は、僕にとって、ある意味で写真以上に衝撃だった。それほどに静謐なのだ。口調は穏やかで、動きにはまったく無駄がなく、戦場や虐殺の現場で累々たる屍を撮りながら、家族を失って泣き叫ぶ男や女たちに囲まれながら、表情ひとつ変えずに露出計で光量を測り、無言でシャッターを押し続けていた。

 映画を観ながらふと思う。その抑制された動きは、まるで修行僧のようだ。そして虐殺の跡地に佇むその姿は、まるで聖人のようだ。

 1948年にマサチューセッツで生まれたジェームズ・ナクトウェイは、大学時代には美術史と政治学を専攻したが、同時期にベトナム戦争の報道写真に触発されて戦場写真家を志した。大学卒業後はトラックドライバーなどの職に就きながら独学でカメラを学び、1976年から4年間は新聞社のカメラマンとして技術を取得し、1980年に独立した。1984年に『TIME』誌の専属カメラマンの契約を交わし、1986年からは写真家集団であるマグナム・フォトに所属した。これまでにロバート・キャパ賞を5度受賞しており、名実共に世界トップクラスの写真家だ。