クスコはアンデス山脈の高地、標高3399メートルのところにつくられたインカ帝国の首都だ。このような不便なところに巨大な都市を建設したのはインカのひとびとが「旧大陸」とは異なる文化や信仰、価値観を持っていたからではなく、巨大なアンデス山脈によって分断された南米大陸ではそれがもっとも合理的な選択であったことは前回述べた。
[参考記事]
●今も「歴史問題」となっている征服者ピサロとインカ帝国の末路
クスコにはインカの高度な石造建築技術によって王宮や神殿など多くの建物がつくられたが、スペイン人の「コンキスタドール(征服者)」はそれを徹底的に破壊し、金銀財宝を略奪すると、その石を再利用してカトリックの教会を建てた。彼らにとって「新大陸」への侵略は、イベリア半島をムスリムの手から取り戻したレコンキスタ(国土回復運動)の延長だった。スペイン国王はローマ教皇から、現地の「野蛮人」にキリストの恩寵をもたらすという「大義」を理由に新大陸の領有権を認められていたのだ。
アフガニスタンのバーミヤン渓谷にある仏教石窟群は、2001年、原理主義的なイスラーム組織ターリバーンによって「偶像崇拝禁止の教えに反している」として無残に爆破・破壊された。その500年前のクスコでは、宗教(この場合はカトリック)の名の下にバーミヤンの数百倍、数千倍の規模の「文明の破壊」が行なわれた。人間のやることなどたいして変わらないともいえるし、ターリバーンの蛮行に(イスラームの指導者を含む)世界じゅうの非難が集まったことを見れば、5世紀のあいだにひとびとの価値観が多少はまともになった、ということでもあるのだろう。

「キリスト教徒が天国にいるのなら、いっそ地獄に落ちたい」
バルトロメ・デ・ラス・カサスは16世紀スペインのカトリック司祭で、「新大陸」に渡ったのち、インディオ(原住民)に対するスペイン人の蛮行を告発したことで知られている。もっとも有名な著作『インディアスの破壊についての簡潔な報告』は16世紀後半からヨーロッパ各国でベストセラーになり、いまも「大航海時代」の実態を知る第一級資料だ(邦訳は岩波文庫に収録)。
これまでも何度かラス・カサスの『報告』から引用したが、たとえば「キューバ島について」の項には、以下のような記述がある。
スペイン人の来襲を知った有力なカーシケ(首長)であるアトゥエイは、部下たちを集めてこういった。
「(スペイン人が生まれつき残酷で邪悪な連中だというだけでは)あんなひどいことはするまい。連中には、一つの神がいて、連中はそれを心から崇め、こよなく愛している。その神を私たちから奪い去り、崇め奉るために、私たちを言いなりにさせようと必死になり、その挙句、生命(いのち)を奪うのだ」
アトゥエイは、そばにあった金製の装身具がつまった籠を手にとって話をつづけた。
「これがキリスト教徒たちの神だ。異存がなければ、この神のためにアトレイ(舞いと踊り)を演じようではないか。そうすればこの神は大喜びして、私たちに悪事を働かないよう、キリスト教徒に命じてくださるだろう」
インディオたちは口々に「そうしましょう」と叫び、その籠の前でへとへとになるまで踊りつづけた。そんな彼らにアトゥエイは語りかけた。
「キリスト教徒が崇めるこの神の正体が何であれ、こんなものを後生大事に持っていたら、連中は奪おうとして、最後には私たちを手にかけるに違いない。だから、籠をその川に捨ててしまおう」
ひとびとはこれにも賛成し、近くを流れる川に金の装身具をみな捨ててしまった。だがスペイン人の「神」に必死に祈ったにもかかわらず、アトウェイは捕まって、生きたまま火あぶりにされることになった。
処刑の場に居合わせたフランシスコ会の修道士は、木に縛りつけられたアトゥエイに神と信仰に関する話をしたあと、「もし私の話を信じるなら、栄光に満ち溢れ、永遠の安らぎが得られる天国に召されるが、信じなければ、地獄に落ち、未来永劫に罰を受け、苦しむことになる」と告げた。
アトゥエイはしばらく考えてから、「キリスト教徒も天国に行くのですか」と訊いた。
聖職者は頷いてこたえた。「ええ、善良なキリスト教徒であれば」
するとアトゥエイは、こういった。
「天国などには行きたくない。いっそのこと地獄に落ちたい。キリスト教徒がいるようなところへ行きたくないし、二度とあんな残酷な連中の顔を見たくもない」
この印象的な逸話を紹介したあと、ラス・カサスはこう書いている。
「実際のところ、インディアス(新大陸)へ渡ったキリスト教徒の所業によって、神とわれらの信仰が手に入れた名声と名誉とは、以上のようなものであった」

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