橘玲の世界投資見聞録 2016年11月10日

16世紀に新大陸で虐殺を行なったスペインが、
当時もっとも「啓蒙的、人道的」だった
[橘玲の世界投資見聞録]

「スペイン人は世界でもっとも残虐かつ非寛容な国民」という黒い伝説

 ラス・カサスの『報告』がおどろおどろしい版画を添えてヨーロッパ各国で翻訳出版されると、ひとびとはインディオが強いられた悲惨な運命に驚愕した。スペインが新大陸に植民した15世紀末から16世紀が異端審問の最盛期だったこともあって、インディオの悲劇はスペイン人の狂信性と残虐性の象徴とされ、16世紀後半には「スペイン人は世界でもっとも残虐かつ非寛容な国民」というのが定説になった。これがのちに、「黒い伝説」と(スペイン人によって)呼ばれることになる。

 その一方で、スペインがヨーロッパの覇権を失い、国内政治の混乱もあって国力が衰退すると、19世紀後半から20世紀前半にかけて、保守派の知識人を中心にかつての「太陽の沈まぬ帝国」を回顧する動きが強まった。このとき真っ先に目の仇にされたのがラス・カサスの『報告』で、保守派によれば、スペイン人は新大陸を征服・支配することで人肉食の野蛮なインディオを「文明化」するという神聖で崇高な使命を果たしたのであり、「黒い伝説」はスペインに敵対したヨーロッパ諸国が『報告』に依拠して捏造したまったく根拠のない反スペインキャンペーンなのだ(この「反スペイン」を「反日」に読み替えれば、いつの時代もたいして変わらないことがわかるだろう)。

 とはいえ、一見暴論とも思えるスペインの保守派の言い分にも理由がないわけではない。

『報告』がもっとも広く流布したのは16世紀後半のオランダだが、当時、オランダ(ネーデルラント)はスペイン=ハプスブルク家の支配下にあり、独立を求める反乱が繰り返されていた。ネーデルラントにはカルヴァン派などのプロテスタントが急速に浸透していたが、カトリックの牙城であるスペイン宮廷(神聖ローマ皇帝でもあるカール5世と息子のフェリペ2世)は異端審問官を派遣して徹底した弾圧を行なった。こうした状況下で、『報告』が宗主国であるスペインへの反感を醸成するために政治的に利用されたことは疑いない。

 また16世紀は、「世界」の覇権をめぐって新興のイギリスがスペインとはげしく争っていた。そんななか、ネーデルラント北部諸州がスペイン統治を否認する布告を出すと、1588年、フェリペ2世は北部諸州を支援するイングランドを叩くため無敵艦隊を派遣する。このアルマダの戦いで敗退したことでスペイン帝国の退潮が始まるのだが、当時はまだスペインはイングランドよりはるかに強大と考えられており、「黒い伝説」をヨーロッパじゅうに流布させるのは反スペイン諸国にとって大きな利益があったのだ。

 ラス・カサスの『報告』を一読すればわかるように、これは客観的な歴史資料ではなく、南米でのスペイン植民者の蛮行を告発するプロパガンダだ。現在では、スペイン人との接触によって天然痘、麻疹、チフス、インフルエンザなど免疫のなかった伝染病が蔓延し、インディオ社会に致命的な打撃を与えたことがわかっているが、それについての言及はひとこともなく、ひたすらスペイン人の残虐行為を書き連ねていることからも、ラス・カサスの意図がどこにあったかは明確だ。

 さらなる批判を浴びたのは、ラス・カサスが挙げるインディオの犠牲者数が大幅に水増しされているとの“疑惑”だ。

 たとえばラス・カサスは、征服前のイスパニョーラ島(現在のハイチとドミニカ共和国)の人口を300万と記しているが、当時の複数の記録でも現代の研究者の評価でもその人口は100万を超えていない。同様にラス・カサスは、メキシコ中央部で400万、ペルー副王領でも同じく400万の生命が奪われ、1502年から42年までの40年間に2580万から2880万人のインディオが征服戦争の犠牲になったとしているが、当時の人口調査や統計では正確な数字を出すことは不可能で、「被害」の規模に確たる根拠があるとはいえない。

 保守派が批判するように、ラス・カサスにインディオの犠牲者数を誇張する動機があったことはたしかだろうが、その一方で、この数字を一概にデタラメと見なすこともできない。スペイン人によってインディオ社会が徹底的に破壊されたため、征服以前の人口を知るための資料はほとんど残っておらず、その推計は研究者によって大きく異なるからだ。

 一部の研究者は、メキシコ中央部で850万、ペルー副王領で750万のインディオが死んだと推計している。これが実態に近いとすれば、インディオの被害はラス・カサスの「誇張された」数字の倍に相当することになってしまうのだ。

インカの時代のコリカンチャ(太陽の神殿)跡に建てられたサント・ドミンゴ教会    (Photo:©Alt Invest Com)
教会内部にはインカの神殿の土台が残されている   (Photo:©Alt Invest Com)


 

「スペインは16世紀のヨーロッパではもっとも啓蒙され、人道主義的だった」

 「黒い伝説」は、「スペイン人は世界でもっとも残虐で狂信的な民族」だという。この伝説を生んだのは、ラス・カサスというスペイン人のカトリック司祭だ。ではなぜ、彼は自らの国を貶めるような『報告』を書いたのか。

 この問いに対してアメリカの歴史家ルイス・ハンケは、新大陸でのスペイン人の蛮行を歴史的事実としつつも、「スペインは16世紀のヨーロッパではもっとも啓蒙され、人道主義的だった」という驚くべき主張を展開した。

『スペインの新大陸征服』(平凡社)、『アリストテレスとアメリカ・インディアン』(岩波新書)などでハンケは、ラス・カサス個人ではなく、その告発が当時のスペイン社会でどのように受けとめられたかを検証する。

 新大陸のスペイン人をはげしく告発するラス・カサスは、現地のスペイン人社会はもちろん、スペイン本国でも蛇蝎のごとく嫌われた。しかしその一方で『報告』が、新大陸の統治に関する最高機関である「インディアス枢機会議」および君主であるカルロス1世(神聖ローマ皇帝カール5世)に宛てられたものであることを無視することはできない。じつはこの文書は、スペイン国王から征服戦争の実態を報告するよう求められ、新大陸の統治改革のために書かれたのだ。

 ハンケが指摘するまで、カトリック司祭を中心にスペインの権力者層のあいだにラス・カサスの支持者が多くいたことはほとんど注目されなかった。実際には、ラス・カサス以外にも新大陸に渡った宣教師から同様の報告が大量にスペイン本国に送られてきており、スペイン人植民者の「反人道的行為」は為政者のあいだでも広く知られていた。それに対してなんらかの対処が必要だと認識されていたからこそ、スペイン宮廷に対してインディオの「人権」を擁護するラス・カサスの運動が許されたのだ。

 カルロス1世を取り巻くスペイン宮廷の権力者がラス・カサスの訴えに耳を傾けたのは、もちろん彼らが「人道主義者」だったからではない。レコンキスタによってイベリア半島のカトリック化は完成するが、そのなかで国王・宮廷をもっとも悩ませたのは地方領主が大きなちからをもって台頭してきたことだった。

 分権化した領主の集まりだったスペインは、カスティーリャ王国のイサベル女王とアラゴン王国のフェルディナンド皇太子の結婚によって「国家」になったが、それはカタルーニャ、バスク、アンダルシアなどの諸王国を征服・支配することで成り立つ不安定なものだった。そこに新大陸という広大な領土が新たに加わったのだが、そのことで宮廷は、インディアスのスペイン人植民者が新たな「王国」をつくることを強く危惧するようになる。ラス・カサスの告発は、スペイン本国(宮廷)が新大陸の統治に介入する格好の口実を与えたのだ。

 だがこのことでスペインの為政者たちは、「正義」を意識せざるを得なくなった。もともと新大陸の領有権がスペイン国王に与えられたのは、ローマ教皇から「キリスト教布教」の大義を委任されたからだった。ラス・カサスが告発するように、スペイン人植民者がインディオを奴隷化し虐殺しているのなら、その事実が広く知られることはスペインによるインディアス統治権の根幹を揺るがすことになる。スペイン宮廷は、「なぜ自分たちがインディアスを統治するのか」という大義(道徳的優位性)を世界に向けて示す必要があったのだ。

 こうして1547年、カルロス1世の命により、スペインのバリャドリードにおいて、当代随一のアリストテレス学者といわれたセプルベダとラス・カサスのあいだで、インディアス問題をめぐる前代未聞の論戦が行なわれることになる。

インカ帝国の首都クスコは標高3400メートルの高地につくられた       (Photo:©Alt Invest Com)

 


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橘 玲(Tachibana Akira) 作家。1959年生まれ。早稲田大学卒業。「海外投資を楽しむ会」創設メンバーのひとり。著書に『お金持ちになれる黄金の羽根の拾い方』『(日本人)』(幻冬舎)、『臆病者のための株入門』『亜玖夢博士の経済入門』(文藝春秋)、『黄金の扉を開ける賢者の海外投資術』(ダイヤモンド社)など。
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