想像ではなく事実を基に
「集合的無意識」を突く

──小説において、日本ではあまりなじみのない、新しいタイプの人格障害である「境界性パーソナリティー障害」にも触れられています。

『四月になれば彼女は』
川村元気 著(文藝春秋 1400円+税)
「1年後に結婚を控えていた藤代のもとに、はじめて付き合った彼女から手紙が届く。天空の鏡・ウユニ塩湖にある書かれたそれには、恋の瑞々しいはじまりとともに、二人が付き合っていた頃の記憶が綴られていた。なぜ今になって手紙を書いてきたのか—。“いつかの熱い想い”と“恋愛のなくなった現代”を瑞々しい筆致で描いた、著者2年ぶりの最新小説。」

 主人公は精神科医の男性。その婚約者も獣医であり、2人はとても理性的なカップルです。恋愛感情は人間にしかないといわれており、医師である2人はそのメカニズムもよく分かっている。なのに、2人は結婚を1年後に控えてうまくいっていないという様子を描きました。

 今回、精神科医10人以上に取材しました。先生方は、恋愛感情が失われつつあることに対して、とても正しい分析をしていました。例えば、その一つの原因が過度な「自己愛」にあるということです。これは、パーソナリティー障害の一種です。

 そこで、はたと思ったのです。この先生たち自身の恋愛はどうなっているのかと。尋ねてみると「いやー、実は妻と離婚しかけていて……」とか、「5年間、彼氏がいません」などとおっしゃる。さらに、「自分の抱えている障害や問題を治したいから、精神科医になった」とも。うわー、と。正直、先生たちも患者と同じ悩みを抱えているのかと気付いたわけです。

 しかし、振り返ると僕たちも同じですよね。例えば、知人と飲みに行って恋愛相談を受ければ、きっと正しいアドバイスができる。それなのに、自分の家に帰った途端、恋人や妻とけんかをしてしまう。誰もが他人の問題は解決できるのに、自分の問題は解決できていないという点で同じことなのです。

 つまり、精神科医もその患者も僕たちも、同じ悩みを抱えているのだと。それを物語として描くことで、現代人の誰もが潜在的に抱えている「集合的無意識」を突き、強い共感を得られるのではないかと思ったのです。

 登場人物の言葉は、こうした取材が基になっています。僕の想像の部分はわずかです。当初の自分の違和感をきっかけに、皆が感じているモヤモヤを物語にできるかどうかを徹底的に調べ、それを小説にしたのです。

──違和感から仮説を立て、それを取材で検証して物語にしたというわけですか。

 はい。『億男』もそうですが、僕は作品作りで絶えずそうしています。世の中では「A」といわれていることが、本当にそうなのかと仮説を立て、これを綿密に調べる。そこで実は「B」でしたと分かれば、それを物語化して提案するのです。それに対して読者が潜在的に抱いていた感情が反応すれば、新しいエンターテインメント、面白い物語が生まれると思っています。

 世間では「夫婦は結婚したら、愛が情に変わって家族になる」と当たり前に言うが、本当にそれでいいと皆が思っているのだろうか。恋愛感情というものが自分の周りから失われていることにも皆、うすうす気付いているのに、それを見て見ぬふりをしていないのかと。

 こうした、人々の集合的無意識に問いを投げかけて、「それは僕も気になっていた」とか「私もずっと引っ掛かっていた」と、読者が次々と言いだすことになれば、それがヒットするということなのかなと思います。