大規模な震災は人々の生活とともに経済社会を破壊してしまう。人々に地震リスクと真正面から向き合ってもらい、住宅の質を向上させていく制度設計は、政府の最優先に取り組まなければならない政策だ。だが、政府が介入、強制しても、人々は望む方向を向かない。齊藤誠・一橋大学大学院教授は、積極介入でもなく、逆の自由放任でもない「リバタリアン・パターナリズム」によるnudge(ナッジ。働きかけ)こそ有効だと語る。

人々はなぜ地震リスクに目覚めないのか<br />~「緩やかな介入主義」の有効性を<br />齊藤誠・一橋大学大学院教授に聞く齊藤 誠(Makoto Saito)
1960年生まれ。83年京都大学経済学部卒業。92年マサチューセッツ工科大学経済学部博士課程修了、Ph.D取得。ブリティッシュ・コロンビア大学経済学部助教授などを経て、2001年より現職。著書多数。近著に「競争の作法」(ちくま新書)
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――リバタリアン・パターナリズム(libertarian paternalism)とは、どのような経済政策の考え方か。

 日本語に直せば、“緩やかな介入主義”だ。“リバタリアン“は自由主義信奉者とか自由尊重論者と訳されるが、個々人の自由意思を尊重し、政府はすべてを市場に任せる、というスタンスだ。一方の“パターナリズム”は、家父長的な干渉主義を意味する。政府は父親役を任じ、積極的に市場に介入する。この正反対の言葉をつなげたリバタリアン・パターナリズムは、政府が市場に介入する場合でも、個々の経済主体の意思決定を尊重する、という立場を取る。

 先進国の経済政策の考え方は、リバタリアン(自由尊重主義)とパターナリズム(介入主義)の間で、振り子のように揺れてきた。たとえば、2000年代初頭から規制緩和の方向に進んできた金融行政は、2008年以降の米国発世界金融危機の発生を受けて、規制強化に大きく舵を切った。

 こうした振幅の大きな歴史は、自由放任主義と介入主義のいずれの政策もそれほど優れたものではなかったことを示唆しているのではないだろうか。とすれば、両極に偏ることなく、それぞれの良い点を生かした経済政策が考えられないか。それが、緩やかな介入主義だ。

 緩やかな介入は、ナッジ(nudge)と呼ばれることもある。ナッジとは、「より良い方向に軽くつつく、働きかける」という意味だ。政府が政策遂行のために人々にナッジするのだ。

――緩やかな介入(ナッジ)主義が住宅政策、とりわけ地震などの防災政策に有用であるというのはなぜか。

 阪神淡路大震災の例を引くまでもなく、大規模な震災は人々の生活とともに経済社会を破壊してしまう。住宅市場の質の向上を促す制度設計は、政府が最優先に取り組まなければならない重要政策であり、自由放任主義で市場に委ねてしまうわけにはいかない。

 その一方で、政府が多くの人々が地震リスクに無関心だという前提に立って、積極的に市場に介入しても、成果を上げられるとは限らない。特定の人々に無理強いする政策は、立法から実施までのあらゆる段階で関係者の抵抗を受けやすく、政策自体がとん挫してしまう可能性もある。

 私たちの研究では、多くの人々は地震リスクに無関心ではなく、潜在的には回避したいという欲求を持っていることがわかっている。したがって、ナッジすることによって、リスク回避行動のインセンティブをうまく引き出すことが必要だし、効果的だ。