イスラム教やキリスト教、ユダヤ教などの一神教と、日本の神道などの多神教。互いに理解しあうことは可能なのでしょうか。日本では珍しい女性の中東研究家として活躍する岩永尚子先生が、ご自身のアメリカ留学体験をもとに解説します。
イスラム教の創始者であるムハンマドが布教を開始する以前は、中東のおもな宗教は多神教であったといわれています。そのため、現在のイスラム教の聖地であるカーバ神殿にも、かつては多神教の神々の聖像が多数祭られていたそうです。
ですが、イスラム教では偶像崇拝は忌むべきものとされ、1日5回とされる礼拝は「神は偉大である。アッラー以外に神はない」という言葉で始められます。このイスラム教の布教によって、こうした多神教の神々の聖像は破壊されたといわれています。
では、そんなイスラム教徒が多神教、神道や仏教などを理解できるのかという問題ですが、おそらく一般のイスラム教徒には理解できないと思います。多神教はよくないものとされているため、考えるにおよばないというか、想像すらしないし、想像もできないという感じではないでしょうか。
また、理解できないのはイスラム教徒だけでなく、おそらく一神教とよばれるキリスト教徒やユダヤ教徒でも、多神教や神道、おそらく仏教も、よほど興味を持っていない限り、理解の範疇を超えていると思われます。
なぜそう思うのかというと、実は20年以上前に留学先のアメリカで、キリスト教徒、ユダヤ教徒、イスラム教徒のクラスメートを前に、タイからの留学生と一緒にこの問題についての説明を試み、みごとに理解をえられず失敗した経験があるためです(もともとは違う意図からの質問でしたが)。
私自身、お米にまで神様が宿るといわれて育ったものの、神道や仏教を深く学んだわけではありませんので、せいぜい世界史で学んだ程度の知識しか持ち合わせていませんでしたから、他の宗教の人たちの前で説明を試みることすらおこがましく、失敗して当然でした。もちろん、私自身の説明のまずさと英語の稚拙さが手伝っていることも否めませんが。

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