橘玲の世界投資見聞録 2016年12月22日

同じ南米の大国なのに、
アルゼンチンがブラジルとは全く印象が異なる理由
[橘玲の世界投資見聞録]

南米を代表するポピュリスト「エビータ」が生まれた背景

 経済が発展して中間層が増えると、それにともなって「格差」が大きな社会問題になるのはいつの時代でも同じだ。アルゼンチンでは19世紀後半から都市の貧しい労働者を率いた急進左派政党が台頭し、ゼネストなど激しい労働運動を繰り広げた。従来の政治勢力では左派(マルキスト)の勢いをとめることはできず、1930年9月に軍部が決起して保守党政権を樹立した。アルゼンチンは南米でもっとも開明的で民主的な政治を行なっていたのだが、これ以降、民主選挙では左派に勝てないことが明らかになって、保守派は軍部を背景として不正選挙をつづけることになる。

 第二次世界大戦が起こると、アルゼンチンでは連合国(アメリカ)につくか、枢軸国(ドイツ)につくかで国論が二分する。自由貿易から利益を得ていたアルゼンチンはアメリカの保護主義を嫌って当初は枢軸国寄りの中立を維持したが、アメリカから借款や武器貸与を止められたことで政局は混乱し、ふたたび軍部がクーデターを起こすことになる。こうして軍事政権が誕生するのだが、そのなかにフアン・ドミンゴ・ペロンという大佐がいた。ペロンの妻はマリア・エバ・ドゥアルテで、愛称は「エビータ」。その後二人は、南米を代表する“ポピュリスト”として知られるようになる。

 もともとは軍事史の研究家であったペロンがなぜ軍部のなかで急速にちからをつけ、アルゼンチン民衆の個人崇拝の対象になったのかは諸説あるが、地方のガウチョや都市の貧困層に社会福祉を提供しようとしたペロンの「カリスマ型温情主義」が、ゆたかさから拒絶されていたひとびとを引きつけた、ということのようだ。

 ペロンの地位を不動のものにしたのは1945年10月9日、軍内反ペロン派のクーデターで拘束されたことで、当時、ペロンと婚約していた26歳のエビータがラジオで国民に釈放を訴え、10月17日に2万を超える労働者が大統領官邸前の五月広場を取り囲み、それに恐れをなした軍部や保守派はペロンに権力を委ねるほかなかった。この場面はミュージカル『エビータ』やマドンナ主演の同名の映画でも有名で、大衆の動員が政治を動かすポピュリズムの典型として現在でもしばしば言及される。

映画『エビータ』でも知られる五月広場。正面に見えるのが大統領官邸。1945年10月17日、ここに2万人の労働者が押し寄せ、ペロンとエビータの名を叫んだ       (Photo:©Alt Invest Com)

 ペロンは政府介入による賃金引上げ、年金制度拡充、労働組合結成などの政策で大衆の支持に報い、「デスカミサードス(シャツなしの素肌に上着を着る貧乏人)」を自称する労働者たちはことあるごとに政府支持のデモに繰り出した。彼らのあいだで絶大な人気を誇ったのが妻のエビータで、子宮がんで33歳の若さで世を去らなければ、副大統領となって国政に大きな影響を行使したことは確実だった。

エビータの墓にはいまも花が絶えない (Photo:©Alt Invest Com)

 

 ペロンが失脚したあともアルゼンチンの政治は混迷をつづけ、1976年にはホルヘ・ラファエル・ビデラ将軍がクーデターで権力を掌握して独裁政治を行なった。ビデラ政権時代は労働組合員や政治活動家、学生、ジャーナリストなどが大量に逮捕・監禁・拷問され、3万人が行方不明になったとされる。「汚い戦争」と呼ばれるこの“市民に対するテロ”は、いまもアルゼンチン社会に深い傷痕を残している。

 民政移管後は、ブエノスアイレスの富裕層や企業が求める新自由主義的な政策と、それに反発する貧困層を動員したポピュリズム的な保護主義のあいだで政権は大きく揺れ、2001年と2014年の二度にわたって債務不履行を起こすなど財政問題が深刻化した。現在は、クリスティーナ・キルチネル前大統領の保護主義政策を批判して大統領選を勝ち抜いた中道右派のマウリシオ・マクリが、国際社会の信頼を回復すべく市場主義的な政策に大きく舵を切ったところだ。

 とはいえ、都市(ブエノスアイレス)と地方(パンパス)の著しい格差というアルゼンチンの構造問題は変わっておらず、今後も外部からショックが加わるたびに社会は大きく揺さぶられることになるだろう。

マクリ大統領の名がパナマ文書に載っていたことから、五月広場は「グローバリズム」を批判する市民に占拠されていた         (Photo:©Alt Invest Com)
本稿の執筆にあたって高橋均/網野徹哉『ラテンアメリカ文明の興亡』(中央公論社)を参考にしました。

 

 

橘 玲(たちばな あきら)

 作家。2002年、金融小説『マネーロンダリング』(幻冬舎文庫)でデビュー。『お金持ちになれる黄金の羽根の拾い方』(幻冬舎)が30万部の大ヒット。著書に『日本の国家破産に備える資産防衛マニュアル』(ダイヤモンド社)など。中国人の考え方、反日、歴史問題、不動産バブルなど「中国という大問題」に切り込んだ『橘玲の中国私論』が絶賛発売中。近刊『「言ってはいけない 残酷すぎる真実』(新潮新書)が30万部のベストセラーに。

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橘 玲(Tachibana Akira) 作家。1959年生まれ。早稲田大学卒業。「海外投資を楽しむ会」創設メンバーのひとり。著書に『お金持ちになれる黄金の羽根の拾い方』『(日本人)』(幻冬舎)、『臆病者のための株入門』『亜玖夢博士の経済入門』(文藝春秋)、『黄金の扉を開ける賢者の海外投資術』(ダイヤモンド社)など。
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