「アメリカ企業で社長になる!」片道切符を手に渡米<br />転機を味方に、グローバル企業でトップを走る技術<br />――コールマンジャパン社長 リチャード・ギルフォイル氏【前編】1つのスタンドに4つの脱着式LEDライトを装備した「クアッドLEDランタン」と、 手のひらサイズの「マイクロクアッドLEDランタン」  www.coleman.co.jp

「アメリカ企業で社長になる」と片道切符でアメリカに飛び出した青年は今、110年の歴史があるアウトドア用品の筆頭ブランド、コールマンジャパンの社長になった。彼こと日本育ちのリチャード・ギルフォイル氏が半生で実践してきた、グローバル企業で活躍するための、世界水準の方法論を聞く。

まったくの異業種への転身
面白みとギャップは?

南 現在はアウトドア用品のコールマンジャパンの社長、それまでは化粧品メーカーのヘレナ ルビンスタインのマーケティング責任者、シェービング用品のジレットの社長と、それぞれの業界でトップクラスのシェアと実績を誇る優良企業ばかりを渡り歩いておられます。中でも、コールマンを選択したことにはどのような背景があったのでしょうか? 

「アメリカ企業で社長になる!」片道切符を手に渡米<br />転機を味方に、グローバル企業でトップを走る技術<br />――コールマンジャパン社長 リチャード・ギルフォイル氏【前編】リチャード・ギルフォイル
1948年米国生まれ。14才から18才まで日本で過ごしたほか、日本での生活は約40年。ゴンザガ大学(米国)卒業後の1971年、日本で就職。その後、化粧品メーカー ヘレナ ルビンスタインに入社し、世界各地でマーケティング責任者を歴任。1988年にジレットジャパンインコーポレイテッドに入社、1992年に同社社長に就任、2000年よりコールマンジャパン株式会社の代表取締役社長に就任。現在はアジア・パシフィック地区の社長を兼任。

ギルフォイル 私がコールマンに入社した2000年は、まさにコールマンがグローバル路線を打ち出していくタイミングでした。アメリカで100年の歴史を持つ企業でしたが、売上の90%をアメリカに依存しており、あまり経営も健全ではなかった。ヨーロッパや日本でのグローバル展開を強化しようと当時の会長は考えていましたが、ノウハウがなかったのです。また、当時日本オフィスはあったのですが、日本でのシェアは低く、厳しい状況でした。

 私は、日本育ちだったこともあり、日本語も話せるし、本社自体を立て直すことと、日本のコールマンブランドを本格的に立ち上げることを同時にできることに面白みを感じて入社したのです。

南 業界が大きく変わりましたが、ギャップを感じたことはなかったのですか?業界が変わるというのは、転職の時にいちばん躊躇する部分だと思うのですが?

ギルフォイル それは確かに感じましたね。コールマンの前にいたジレットに転職した時もそうでしたが、ヘレナ ルビンスタインにいた頃は取引先といえば大手デパートで、スーツを着て出かけるという感じだったのですが、それがジレットだとスーパーの裏手からということになる。

 

南 (笑)それはかなりの落差がありますね。