これまでの地方議会ではありえなかったことが、名古屋市議会で起きた。わずか10日ほど前に初当選したばかりの一年生議員が、議長ポストについたのである。政治経験のない全くの新人で、しかも、議長選挙を勝ち抜いての就任だ。当選回数が何よりもモノを言うのが議員の世界。本来(?)ならば、ありえない快挙である。議会も選挙の結果でガラリと変わるものだ。多くの市民がそう痛感したのではないか。

 リコールに伴う名古屋市議会(定数75)の出直し選挙が3月13日、実施された。特権の上に胡坐をかいていた議員への不信は凄まじく、現職が相次いで落選した。躍進したのが、河村たかし市長が代表を務める「減税日本」。目標の過半数には届かなかったが、28議席を獲得し、最大会派に躍り出た。当選者のうち27人が新人で、いずれも、政治とは無縁の生活を送っていた「名古屋庶民」の面々だ。

 一方、最大会派(リコール前は27議席・以下同)だった民主党は、11議席に減らす歴史的な大敗。第4会派に転げ落ちた。自民党(23)も19議席に減らし、公明党(14)は12議席、共産党(8)は5議席に終わった。市民の多くが、現職議員と既存政党にノーを示す結果となった。

 新たな議員による市議会が3月24日に開会され、議長選びとなった。

 リコール前の名古屋市議会では、無記名投票により議長と副議長が選出されていた。しかし、投票は形式にすぎなかった。最大会派と第2会派から議長と副議長を出すのが慣例となっていて、会派間の事前協議でポストを割り振り、あとは会派内の人選に委ねられていた。人選の決め手は、当選回数だ。議長・副議長選挙は立候補制となっておらず、投票前に候補者が所信表明することもなかった。

 会派間の事前調整によるポスト割り振りは、議長や副議長にとどまらなかった。リコール前はそれが当たり前で、異論も出なかった。こうして議会内秩序が保たれ、議員は当選回数を重ねればそれなりのポストにありつけた。河村市長が誕生する前の牧歌的(?)時代の話である。