「過激な論客ふたりが初めて手を組んだ!」という謳い文句の浜と私の『どアホノミクスの正体』(講談社+α新書)が、刊行2ヵ月足らずで5万部に達した。

 計4回8時間に及ぶ対談をまとめたものだが、私は何度か、「浜さん、私以上に厳しいことをおっしゃいますね」という驚きの声を発した。

アベノミクスはアホノミクス

 まず、アベノミクスはアホノミクスだという指摘が秀逸だろう。

「一時は竹中平蔵が日銀総裁になるという話もあった。こうなってみると、竹中と大して変わらない黒田(東彦)がなってしまったという話ですよね」と私が言うと、浜は、「多少図々しさに違いがある程度ですね」と応じ、私が、「どちらのほうが図々しいですか」と尋ねると、浜は「竹中平蔵のほうが遥かに。黒田総裁は若干うろたえた雰囲気がたまに出る。一方で竹中平蔵にはいけしゃあしゃあと人の痛みを無視できそうな雰囲気がある」と断罪した。

 その竹中は、浜にとって、一橋大学の山澤逸平ゼミの2年先輩になるという。

「それは『山澤ゼミ秘史』ですね。同じゼミから両極端の人物が輩出されたということか。うーん、それは何とも。竹中は直接のお知り合いですか」と私が驚きつつ尋ねると、浜は、「面識はあります。テレビの討論で出会ったり、新幹線のなかで会ったりとか。ただ、一橋大学のキャンパスで彼を見たことは一度もありません。私は真面目な学生でしたから、すべての授業にしっかり出ていました。いくら2年離れているとはいえ、同じゼミなら一度くらい顔を合わせそうなものなのに。竹中がいかに、まともな経済学をまともに勉強していなかったかがわかるというものですね」と答えた。

 浜が在学中に学長が増田四郎から都留重人に代わったが、都留について浜は、「都留さんは『公害研究』を創刊した頃は一世を風靡している感じもあったんですが、最終的には、経済学はニュートラルでなければならないという空気に引っ張られて、いまいち明確なビジョン取りができなかったように思えます。マルクス経済学者だと思われては困るという考えがあったかもしれません。70年代後半以降、今に至るまで、人々をして歯切れ悪くする時代環境があったのではないでしょうか」と語った。