「生産性上昇」を巡る
議論への違和感

「人口が減少しても、技術革新によって生産性を上げれば、日本経済は衰退しない」、「働き方改革で長時間労働を是正すれば生産性が上がって給与は増える」など、経済論議の中でしばしば生産性上昇が話題にされる。

「生産性」を人口減の日本で上げるには効率的な投資しかない

 筆者の違和感は、それほど単純に生産性を上げる営みを「自由自在に操作できるとは思えない」というところにある。議論の中で生産性上昇が指すものは、具体性のないシンボルのような扱いであるからだ。

「ではどうやって生産性を上げるのか?」――。

 その点が実はブラックボックスになっていて、生産性上昇を語る人たちの話の説得力を落としている一方で、生産性上昇という話にリアリティを感じない人は、その曖昧さに違和感をおぼえている。多くの「生産性上昇」に関する議論が、その具体的手法を欠いている点で、その主張を弱くしているのが実情だ。

企業は率先して
投資を増やそうとはしていない

 経済学のアプローチでは、生産性を上げる場合、労働人口減少などの人口の制約があっても、労働投入の代わりに資本投入と技術革新によって一国の生産物が増える。つまり労働1単位当たりの生産性は、設備投資や技術導入によって促進される。

 1人あたりの資本装備率の上昇により生産性がアップするわけだ。投資に応じて、固定資産の減価償却費や資金調達コスト(金融費用)、研究開発費などのコストも増えるが、生産性が大きく上がった分、生産の量的拡大によって賃金も上昇する。

 わかりやすく言えば、3人の従業員が動かしていた生産機械の台数を5台から7台に増やすと、1人当たりの従業員の生産物は増えて、機械投資のコストを上回って利益が増えて、賃金上昇も可能になるということである。