アカデミー賞選考は吸収合併された会社員への配慮に似ている今年のアカデミー賞の選考に覚えた違和感には、ビジネスの世界にも通じるものがある
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映画通の知人の「読み」通り
アカデミー賞で覚えた違和感

 アメリカ映画界の祭典・アカデミー賞の2017年の授賞式は「ある違和感」とともに幕を閉じた。といっても、前代未聞の取り違え事件の話をしているのではない。

 授賞式のクライマックスでプレゼンターとして壇上に登場した2人の名優、ウォレン・ベイティとフェイ・ダナウェイ。名画『俺たちに明日はない』のラストシーンでハチの巣になって死んだはずの2人が笑顔で登場する姿は、銀幕が虚構の世界だということを再認識させてくれる。

 フェイ・ダナウェイは作品賞の受賞作を高らかに『ラ・ラ・ランド』と読み上げるが、実はそのときベイティが手にしていた封筒は間違って手渡されたものだった。混乱の中、真の受賞作が『ムーンライト』であったことは壇上に上がった『ラ・ラ・ランド』のプロデューサーから発表された。

 私が違和感を覚えたのは、『ムーンライト』をはじめとして今回のアカデミー賞受賞者が、結果的に極めて政治的な顔ぶれになったことであり、同時に壇上に上がった人々が口々にトランプ大統領の差別批判を口にしていたことだった。

 授賞式の冒頭、白人司会者のジミー・キンメルが「僕が言うまでもないですが、この国は今、分断されています」とスピーチを始め、「昨年のアカデミー賞は『人種差別的だ』って雰囲気でしたよね。でも、トランプ政権のお蔭で今年はそうはならなかった。映画にとってすごい年でした」と話を続けた。

 そう、前年2016年のアカデミー賞は「オスカー(受賞者に手渡される人物をかたどったトロフィー)が白すぎる」と、人種差別を批判されていたのだ。なにしろ、主演と助演の男優・女優賞、そして監督賞のノミネート枠は全部で25枠あるのだが、2年連続ですべてを白人が占めてしまっていたのだから。それだけではない。2016年の場合、作品賞にノミネートされた8作品はすべて白人を主役にした作品ばかりだった。

 アフリカ系アメリカ人(ここでは米国民でアフリカ出身の黒人やその子孫を指す)のカルチャーを描く素晴らしい映画作品は、毎年コンスタントに製作されている。にもかかわらず、それらの作品が映画界の重鎮たちが集まるアカデミーからはまったく評価されていないのは人種差別ではないのかという、問題提起が起きたのだ。

 それが大きな社会問題になった後の2017年のアカデミー賞では、当初からある種の反動が予想されていた。「さすがに今年は黒人が受賞するだろう」という予測である。「たぶん助演の男優賞か女優賞。あともう1つ何かを黒人作品が獲るのではないか」と映画に詳しい知人は明言していた。