みずほフィナンシャルグループが、合併以来、どんなに批判されても掲げ続けてきた“看板”を下ろすときが、ついに訪れた。顧客によって対応する銀行を分けた2行体制だ。みずほの歴史に刻まれる大転換だが、表向きの行内変革プログラムも虚しく、その決断は外圧に屈した結果にすぎなかった。

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「千載一遇のチャンスだ」
持株会社のみずほフィナンシャルグループ(FG)と、傘下のみずほ銀行(BK)へ検査に入った金融庁は、息巻いていた。
東日本大震災の直後に、BKが2度目となる大規模システム障害を起こしたことを受けての検査だったが、金融庁にとってそれは単なる足がかりにすぎなかった。システムの話だけで矛を収めるつもりなど、さらさらなかったからだ。
「経営陣の旧3行のバランスは間違いなく崩してもらう」「特別顧問に座るOBの一掃も譲れない」
金融庁は今回の不祥事の落とし前として、二つの変革をみずほへ突きつけた。意図するところは、合併前の旧行意識を引きずった体制の解体と、旧経営陣との完全なる決別だ。
みずほの歴史は、旧富士銀行、旧第一勧業銀行、旧日本興業銀行の3行合併で幕を開ける。そして、個人と中小企業向けのBK、海外を含む大企業取引と投資銀行業務を担う、みずほコーポレート銀行(CB)という、世界で唯一の2バンク体制を敷いて猛攻勢をかけようとしていた。
ところが、対等合併に固執するあまり、その実態は旧3行のバランス維持装置に終始する。ポストを分け合い、FGは旧一勧、BKは旧富士、CBは旧興銀出身者の既得権益の“入れ物”となった。そして、行内で互いの足を引っ張り合う、お世辞にも一体とはいえない、お粗末な経営体制を続けてきたのだ。
それをさらに厄介にしてきたのが、前田晃伸・前FG会長、杉山清次・前BK会長、齋藤宏・前CB会長の存在だ。
彼らは7年もそれぞれのトップに君臨した後、空席だった会長職に就き、誰が権限を持つのかわからない6トップ体制をつくり上げた。その後、実質的に退任へと追いやられたにもかかわらず、特別顧問に納まって影響力を発揮し続けてきたのだ。
金融庁はみずほのこうした体制をかねて問題視しており、事あるごとに変革を迫ってきたが、みずほは温存し続けた。「ガバナンスがきかないなら解体もありうる」という言葉が出るほど、業を煮やしていた当局が、今回の失策を見逃すはずがなかったというわけだ。