「日本にふたつあるバスケットボールリーグをひとつに統合して欲しい」

 国際バスケットボール連盟(FIBA)のボブ・エルフィンストン会長が、日本バスケットボール協会(JBA)に、こんな要請をしていることが明らかになった。といっても、バスケットボール界に詳しい人でなければ何のことか解からないだろう。これまでのいきさつを説明しておく。

「JBA」と「bjリーグ」
“分裂状態”の2つのトップリーグ

 現在、日本にはトップレベルの男子バスケットボールリーグとして「日本バスケットボールリーグ(JBL)」と「日本プロバスケットボールリーグ(bjリーグ)」のふたつが存在する。

 どの国でも各競技のトップリーグは通常ひとつだ。日本のバスケットボールも1967年にスタートした「日本リーグ」だけだった。松下電器、日本鋼管、住友金属、熊谷組、いすゞ自動車といった実業団チームが覇を競っていたリーグである。

 しかし90年代に入ると、バブル崩壊の影響で会社が業績不振に陥り、活動を休止するチームが出始める。また、日本サッカーリーグがプロ化に踏み切り、93年にJリーグとして新たにスタート。人気獲得とレベルアップをともに成功させたのを見て、JBAも日本リーグのプロ化を検討するようになった。

 1997年には選手個人のプロ契約を容認。そして2000年には、2~3年後のプロ化を前提としてリーグを改編し、1部を「スーパーリーグ」、2部を「日本リーグ」として新たにスタートを切った(似たような名称が多くて混乱すると思うが、事実なのでご辛抱を…)。

 ところが、2年経っても3年経っても、プロ化に向けた具体的な動きは見られなかった。スーパーリーグに参加する企業チームの多くがプロ化に反対したからだ。プロ化するには法人組織を立ち上げるといった投資や手間が必要なうえ、失敗するリスクもある。それなら現状のアマチュアのままでいい、というわけだ。

 サッカー界にはそうした消極的な意見を剛腕でねじ伏せた川淵三郎チェアマン(現・日本サッカー協会名誉会長)がいたが、バスケットボール界には川淵氏のような強力なリーダーシップを持った人物がいなかったようだ。

bjリーグ創設の立役者
「新潟アルビレックス」

 しかし、2000年からの新リーグの中にはプロ化を熱望しているチームがあった。新潟アルビレックスと所沢ブロンコス(現・埼玉ブロンコス)だ。アルビレックスは休部した大和証券の選手を新潟の学校法人が受け入れて設立。また、ブロンコスはアンフィニ東京(マツダ車の販売店)が廃部となり市民クラブとして再スタートした。どちらも企業の後ろ盾はなく、チームが存続するにはプロ化しかない。それを期待して2部の「日本リーグ」に参加した。

 だが、いつまで待ってもプロ化の動きはない。煮え切らない態度を続けるJBAにしびれを切らした両チームは手を組み、「だったらあなた方の力には頼らず、自分たちだけでプロリーグを立ち上げる」とリーグを脱退したのである。

 とはいえ2チームではリーグはできない。各地の法人や団体に呼びかけ、新たに仙台、東京、大阪、大分にチームを設立。選手は公募し、トライアウト(入団テスト)を行なって採用、各チームに分配した。そして05年、「bjリーグ」がスタートしたのである。

 競技を統括する団体を頼らずに、これだけのことができたのは何故か。

 Jリーグにアルビレックス新潟というクラブがある。96年に設立され、99年にJ2参加、04年にはJ1に昇格した。このスピード出世以上に驚かされるのが、抜群の集客力だ。徹底した地域密着のPR活動を展開し、現在では浦和レッズに次ぐ観客動員数を誇るまでになった。サッカー不毛の地、新潟の人たちの心をつかんだのだ。

 この成功を導いたのは初代代表の池田弘氏(現会長)。別組織ではあるが、名称が同じことでも判るようにバスケットボールの新潟アルビレックスとも関係は深く、池田氏のノウハウがあればプロリーグは成功するという目算が立ったのだろう。だからリーグ立ち上げという冒険に踏み切れた。実際、池田氏は現在もbjリーグのアドバイザーを務めている。