3月に北インド(デリー、ジャイプール、アーグラー)とムンバイを訪れた。この国についてはずっと興味があったのだが、これを機会に私も「インドで考えた」ことをすこし書いてみたい。
旅をした国の悪口はいわないことにしているのだが、最初はすこしネガティブな話題から。すなわち、インドで誰もが体験するだろう外国人へのぼったくりについて。
ここで最初に、エクスキューズを並べておかなくてはならない。
まず、インドは広大で民族も言語も文化も異なるのだから、ひとつの街の体験を一般化して「インド人は~」とか「インドでは~」と語ることはできない。今回の話はデリーでのもので、商業都市であるムンバイの雰囲気はかなり違った。一昨年の冬に南インド(コチ、ゴア、チェンナイ)とバンガルールを旅したが、予想外のことがいろいろあったにせよ、不快な思いをしたことはなかった。
もうひとつは、私がデリーに着いたのがホーリー祭の前日という特別な時期だったこと。これは春の訪れを祝うヒンドゥー教でもっとも重要な祭りのひとつで、誰かれかまわず色のついた粉を顔に塗りたくったり、色水をかけあったりすることで有名だ。この時期は美術館や博物館のような施設だけではなく、多くの観光地が休業してしまう(世界遺産であるタージマハールやアンベール城もホーリー祭は休業)。
そしてもちろん、これが私の個人的な体験であることも強調しておきたい。たまたま運が悪かっただけ、ということも当然あり得る。
それではなぜこの話を書くのかというと、さまざまなエクスキューズを考慮に入れても、これがやはりインド社会のある側面を象徴していると思えるからだ。

交差点でであった親切な紳士
デリーで宿泊したのは中心部のホテルで、ホーリー祭の前日(日曜日)の朝、ホテルから歩いて15分ほどのところにあるインド門まで写真を撮りに行くことにした。インド門はデリーとムンバイにあるが、パリのエトワール凱旋門を模したというデリーの門は、イギリス植民地時代の第一次世界大戦に動員され戦死したインド人兵士を追悼するためのものだ。インド門があるのはラージパト通りの西端で、広い通りの東端は大統領官邸だ。
ホテルの前の道に出ると、オートリクシャー(三輪タクシー)のドライバーたちが、「今日はホーリー祭でどこも開いてないよ」と次々と声をかけてくる。そのことはホテルで聞いていたが、街を散歩して写真を撮ろうと思っていただけなので、彼らの誘いを断って(というか振り切って)歩き出した。
しばらく行くと広い車道に出て、交差点の手前で立派な身なりをした紳士と隣あった。祭りの前日の日曜朝でほかに歩行者はおらず、なんとなく挨拶して、ごく自然に会話が始まった。仕立てのいいジャケットを着てゴールドの腕時計をはめた紳士は、この近くに住んでいて、ちょっと用事があって外に出てきた、という感じだった。
インドでは信号のない交差点も多く、車やバイクは歩行者にかまわず突っ込んでくる。慣れない私のために、紳士は親切にいっしょに道を渡ってくれた。お決まりの「どこから来たの?」という質問のあと、「東京にはビジネスで、京都には観光で行ったことがある」とか、「大田区にある工場と取引している」とかの話を聞いて、交差点を渡り終わったところで、紳士は「じゃあ、よい旅を」と手を振った。
ところが、私が地図を広げていると、先ほど別れたはずの紳士が戻ってきて、「どこに行きたいのか」と訊く。私がインド門とこたえると、紳士は困った顔をして、「いまはホーリー祭だからどこも閉まっているよ」という。
「外から写真を撮るだけいでいいんですが」と私。
「この先で道路がブロックされていて通れないよ」
「ブロックされている?」
「そうだよ。ホーリー祭の特別警戒中なんだ」
「だったら、大統領官邸はどうですか?」
「官邸はこっちだけど、そこも道路がブロックされてるよ」
「でも、外から写真くらいは撮れますよね」
「いいかい」と、紳士は真剣な表情に変わった。「ホーリー祭は危険だから、外国人は近づいちゃいけないことになってるんだ」
「危険、というと?」
「酔っ払った群集が押し寄せて、外国人観光客を襲ってカメラやバッグを奪うトラブルが頻発してるんだ」
「でも、誰もいませんよ」と、私はがらんとした周囲を見回した。
「群集はオールドデリーを出発して、大挙してインド門に向かってくるんだ。いまは大丈夫でも、着いた頃にはどうなっているかわからない。だから、外国人はインド門には近づかないように規制されているんだ」
ここまでいわれると、さすがに躊躇せざるを得ない。すると紳士は、近くにいたオートリクシャーを呼んで、ヒンドゥー語でドライバーに何ごとが命じた。ドライバーが頷くと、紳士は向き直って私にいった。
「コンノートプレイスに政府の観光案内所がある。まずはそこに行って、ホーリー祭でも観光できるところはどこかを教えてもらえばいいよ。このドライバーに20ルピー(約34円)で連れて行くよう伝えたから」
ちょっと考えて、彼のアドバイスにも一理あると思った。街のあちこちが通行止めになっているのなら、闇雲に歩いてもムダなだけだ。だったら先に、どのようなルートで観光するか決めておいたほうがいいだろう。
こうして私は、紳士に礼をいい、握手を交わしてオートリクシャーに乗った。紳士はもういちど、ドライバーに向かって「20ルピーだぞ」と念を押すと、笑顔で手を振った。

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