――東芝は2001年にDRAM撤退を発表して、NAND型フラッシュメモリーに投資を集中したわけですが、切り替えに混乱はありませんでしたか。

 東芝がDRAM撤退を発表した時、当時の経営陣ははっきりと「代わりにNANDをやる」と宣言してはいなかったと思います。でも、東芝の社内では着々と開発をしていたし、私自身、次はNANDが来ると信じてました。DRAMが好調な時でもNANDを大事にしていたので、芽が出て育ったんです。もちろん途中のDRAMが厳しくなってきた時代に、NANDの開発にお金がかかるから辞めたいと愚痴る人はいましたけどね。最初からみんなみんな、全員でNANDに諸手を挙げて賛成してまっしぐらに突き進んだとは言えないけど、厳しい中でも細々と忍耐強く続けていたから2000年代に花が開いたんだと思います。

――しかし、1992年、東芝はサムスンにNAND型フラッシュメモリーの技術を供与してしまいますが、その判断は正しかったのでしょうか。

 その批判はよく聞くのですが、東芝はNANDを発明しても、すぐに世界で売れたわけではありません。まずは市場を作らなければならなかった。それには、複数の事業者が必要でした。市場には少なくとも2社いなければならないわけですから、私は、このサムスンへの技術供与そのものは間違った判断ではなかったと思います。でも、間違ったのは、その技術を供与した後。サムスンは巨額投資に踏み切ったのに、東芝はまだフラッシュメモリーに巨額の資金を投入するのに躊躇してしまった。それでサムスンにトップのシェアを奪われてしまった。その差は大きかったと思います。

――経営危機の東芝は、大成功したフラッシュメモリー事業を売却します。

 東芝OBは、東芝の名前が消えるのは悔しい、耐え難いという人が大半です。ここまで育てた半導体をバーゲンセールのように売るなんて…。そういう怒りもありますが、怒っても仕方がない。それよりも、2兆円以上の価値があるところまで育てた自負心大切にしたいものです。

 私自身は、半導体の技術者として東芝の半導体を経営して、60年以上にわたって半導体に携わってきました。半導体をライフワークにしている立場として、東芝の名前が付かなくても、東芝の発明した東芝の技術として、生き残っていってもらいたいと思います。

 でも、正直に言えば、東芝の名前がなくなった半導体の会社を故郷だと思えるかというと、ちょっと悩むのは確かです。複雑な心境ですよ。