「つながる」安心感よりも「孤独」を選ぶべき理由

いつもスマホで他人と「つながって」いないと安心できないのはなぜか。一人になるのが、そんなに不安なのでしょうか。新著『忘れる力』を出版した臨済宗 全生庵住職の平井正修氏が説く、「孤独」でいることの勧め。

誰かとつながりたい
「見て見て症候群」

 暇さえあればついスマートフォンをさわり、SNSやニュースを見てしまう。そんな人が増えています。

 もちろん仕事は分断されるし、本来やるべきことに集中できていないので、口までぽかんと開いていることも……。

 息抜きのレベルならばいいのですが、いつも「何か更新されているかもしれない」「知らない情報が今まさに流れているかもしれない」「知人の動向を自分だけが知らないのでは?」と気にしていたら、効率が悪くなるのは当たり前です。

 人の投稿を見て「いいね」と意思表示をして、自分のことを発信する時は「自分を見て」と思う。何となく互いに見守ることで、他人とつながっていると思って安心しているのかもしれません。

 子どもはよく、「見て見て!」と言います。誰かとつながりたい「見て見て症候群」の人は、私からすると、まるでそんな子どものように思えてしまいます。

 考えてみてください。メールやSNSで常に誰かと接触しているとしても、それで互いをどれだけ理解できているでしょうか。