「100年に一度」と言われる経済危機を経て、日本人のビジネススタイルは見直しを迫られている。ただでさえ、成果主義の導入で社員間の競争が激化するなか、「会社に言われたことだけをやっていればよい」というビジネスマンは、もはや生き残れない時代になった。では、今後日本のビジネスマンが生き残るためにはどうすべきか、また企業はそれをどう支えるべきか。日米両国の企業で活躍し、それぞれのメリットとデメリットをよく理解しているSAPジャパンの井野勢津子CFOに聞いた。(聞き手/ダイヤモンド・オンライン 林 恭子、撮影/宇佐見利明)

――大学卒業後に入社した日本企業を辞め、アメリカでMBAを取得、そして日米両国の企業で経営陣に名を連ねるなど、華々しい活躍をされている。なぜ、アメリカでのMBA取得や米企業への就職を選んだのか?

SAPジャパン井野勢津子CFO
いの・せつこ/SAPジャパン代表取締役最高財務責任者(CFO)。1964年、東京都生まれ。88年京都大学法学部卒業、サントリー入社。94年ハーバード・ビジネス・スクールでMBA取得、米ペプシコーラ、サン・マイクロシステムズなどを経て、2006年同社CFO就任。08年から代表取締役兼務。

 MBA取得のためにアメリカに渡ったときは、特に「海外で働きたい」という思いを持っているわけではなかった。

 大学卒業後に入社したサントリーの先輩にMBAを持っている方が多かったため、それを目の当たりにして、自分もキャリアアップのためにMBAを目指しただけだった。

 しかしその一方で、「他の会社なら自分自身がどのように活躍できるか試してみたい」という気持ちも強かった。サントリーは、比較的海外に目を向けている非常によい会社だったが、当時上層部で活躍している女性はいなかかったため、「自ら活躍の場を広げたい」と思うようになった。

 MBAを取得してハーバード大学を卒業したときも、「2年ほどアメリカで働き、よい機会があれば日本に戻ろう」と思っており、何が何でもアメリカに残りたいという気持ちはなかった。

 その当時いただいたオファーの中で、米ペプシコーラが一番魅力的だったので、アメリカに残ったのだ。

――当初は「2年ほど」と考えていたにも関わらず、長年アメリカで勤めることを決めたのはなぜか?

 結婚を機に移り住んだカリフォルニアのシリコンバレーは、その当時(1996年~2000年)ITブームで景気がよく、新しいことにチャレンジできる雰囲気があった。