定年の日を境に起こる「誰も名前を呼んでくれない」

定年退職の直後に感じるのは、「現役時代は、いかに社会と関わりが持てていたか」ということだ。組織から切り離されたときから、人は「名前を呼ばれない」日々を生きることになる。60歳からを「黄金の15年」にするために、このリアリティショックを乗り越える必要がある。(ビジネス書作家 楠木 新)

「半年経つと立ち直れない」

 もう10年近く前になるが、活力あふれるシニアの増加を目指すNPOからセミナー講師の依頼を受けたことがある。「中高年からライフワークを見つけた人たち」というタイトルで話をした。

 セミナーが終了した時に、事務局の人たちと居酒屋で歓談の機会があった。その時に60代の男性がNPOに参加した理由を語りだした。

「定年になって初めの1ヵ月程度は解放感に満たされたが、それ以降はやることがなくて本当に辛かった。働こうと思ってハローワークなどにも通ったが、履歴書を送っても面接までたどり着けない。家に引きこもりがちになって半年もするとテレビの前から立ち上がれなくなった」。そんな話だった。その後このNPOの存在を知って救われたという。

 彼は「『何をするかは失業保険を受け取ってから考える』と話す同僚が多かったが、半年間何もしないことに耐えられない人が少なくないはずだ」と自らの体験をもとに語ってくれた。

 また私が執筆の場にしているレンタルオフィスに訪れた会社員当時の先輩は、「この事務所には、どれくらい来ているの?」と聞いた。

「週に4、5日くらいですかね」と答えると、「それじゃ、生活のリズムがついていいなぁ」と彼はつぶやいた。

 さらにその後、近くの喫茶店で話し込んだ時に、「生活のリズムをつけるのは大変ですか?」と私から尋ねてみると、「朝起きてやることがないと、朝食をとるとまた寝てしまう」という。「寝てしまった後は、外出する気分も失せてテレビを漫然と見ていることが多い。だから二度寝をしないように、できるだけ外出することを心がけている。図書館や百貨店、映画館などをぶらぶらしていることが多い」そうだ。

 気心の知れた先輩なので本当のところを語ってくれたのだろう。私の事務所を訪れたのも何か自分にヒントになることはないかと思っていた、ということだった。