橘玲の世界投資見聞録 2017年8月3日

アメリカで富裕層の脱税ほう助を行なっていた
スイス・プライベートバンカーの告白

バーケンフェルドは「UBSのロックスター」になった

 バークレイズのバハマ支店に2億ドルを預けていたのは、イゴール・オレニコフというロシア系アメリカ人だった。UBSの脱税幇助事件を報じたニューヨークタイムズなどによれば、オレニコフは共産ソビエトを逃れてイランに移住した旧ロシア皇族の末裔を自称し、15歳の時に4個のスーツケースと800ドルの現金を持って一家でアメリカに渡った。カリフォルニアの大学を卒業した後、不動産業で財をなし、資産17億ドルのビリオネアとなったという。

 アメリカンドリームを体現するオレニコフは、IRS(米国国税庁)との長い確執をつづけていた。彼は1990年にバハマに投資銀行を設立し、不動産会社の所有権を移転してほとんど納税していなかった(その豪勢な生活にもかかわらず彼の年収はわずか1万5000ドルだった)。オレニコフの主張によれば、彼はロシアコネクションの一部で、バハマの銀行は当時のロシア大統領エリツィンのオフショア投資会社だった。

 オレニコフの資金をスイスに移すにあたっての問題は、適格仲介人(QI)契約への署名を拒んでいることだった。QIは外国銀行とIRSとの契約で、顧客情報をIRSに提供するか、もしくはアメリカ株を取得しないことを約するもので、W-9という税務申告書類に署名したうえで後者を選択すれば顧客情報をIRSに知らせる必要はない。通常はこれでなんの問題もないのだが、W-9への署名を拒否されるとスイスの銀行は顧客の資金を預かることができなくなってしまうのだ。

 そこでバーケンフェルドは、リヒテンシュタインに架空の信託や法人を設立し、その名義でUBSに口座を開設するスキームを提案した。こうして2001年11月、オレニコフはUBSに巨額の資金を送金し、バーケンフェルドは一躍「UBSのロックスター」になった。

 UBSの当時の上司は、プライベートバンクのビジネスを次のように説明した。

 大金持ちの顧客が(たとえば)10億円をナンバーアカウント(名義人が表示されない数字だけの秘密口座)に預けたとする。その資金には利息が発生せず、顧客は3%のカストディ・フィー(預かり手数料)を負担することになるが、税金を逃れられることを思えば顧客はこの程度のコストは気にしない。しかしUBSは、こんな儲けでは満足しないのだ。

 そこでどうするかというと、5%の定期預金を顧客に案内する。非課税の資金が5000万円の非課税の利益を生むのだから、顧客はよろこんでこの提案に応じるだろう。ところがおうおうにして、別の投資案件などでその資金が必要になることがある。

 顧客が不動産を買いたいと思っても、資金は定期預金に凍結されてしまっていて自由に動かすことができない。そのときUBSは顧客に、定期預金を担保にして90%(9億円)まで「リーズナブルな金利」で融資することを申し出るのだ。自分のお金を金利を払って借りるというバカらしい話だが、顧客たちは逆に感謝するのだという。

 だが顧客においしい取引をもちかけるには、UBSのプライベートバンカーは彼らを訪問しなければならない。「セキュリティ・アンド・コンプライアンス」部門は、アメリカに出張する担当者に対して、顧客の名前と電話番号はけっして携帯電話に残さず頭のなかに入れ、取引に関するデータをどうしても持っていかなければならない場合は、銀行が支給する暗号のかかったノートパソコンを使うよう指示していた。

 そのミーティングでは、ハンスという担当者と次のようなやりとりがあった。

 「では、みなさん。もし(アメリカの)税関で止められて、質問されたらどうしますか。えぇ、シナリオとしては3つです。まず、職員は商用でアメリカに来たのか、旅行で来たのか質問します。どう答えますか」

 仲間の一人が手をあげた。「ビジネスと答えます。ウソはいけません」

 ハンスはテーブルを叩き、「間違いです。あなたはいついかなるときでも観光で旅行しているのです」と言う……。

 その当時からUBS上層部は、自分たちのビジネスがアメリカの法律に違反していることを知っていたのだ。

高級ブランド店が並ぶジュネーブのローヌ通り       (Photo:©Alt Invest Com) 

 

バーケンフェルドの転向

 UBSはアメリカの富裕層顧客を獲得するために、米国内で美術展などの文化イベントやヨットレースなどの冠スポンサーになり、豪華なパーティーを頻繁に開いた。そこに招待される大金持ちの目的はスイスのプライベートバンカーと知り合うことだ。もちろんそこで、お金のからむ野暮な話はしない。さりげなく名刺を交換し、後日、ジュネーブで「資産運用」についてじっくり話し合うのだ。

 UBSのプライベートバンカーとして「スポーツカー、モデル、ヨット、こりゃすごい」の生活を謳歌していたバーケンフェルドの人生に暗い影が差しはじめるのは2005年になってからだ。『堕天使バンカー』によれば、4月に同僚の一人がUBSのイントラネットで3ページの書類を見つけた。

 その書類は「クロスボーダー・ビジネス・バンキング」というタイトルで、米州デスクのプライベートバンカーに対して、「PMW(プライベート・ウェルスマネージャー)はアメリカ人の顧客開拓のためにアメリカ大陸に渡ってはならない」「PMWはアメリカの税法の埒外にある商品を提案してはならない」「PMWは新規資金を獲得するためのマーケティングをするにあたり、顧客を勧誘するための策を弄してはならない」などと書かれていた。しかしそこで禁止されているのは、UBSの幹部たちが部下に強く命じていたことばかりだった。

 それを読んだバーケンフェルドは、UBSのプライベートバンカーがアメリカで違法性を問われたとき、銀行は自分たちを「犯罪者」として見捨て、部下が勝手にやったことと弁解するために内部文書に紛れ込ませたのではないかと疑うようになる。上司に問いただしてもなんの回答もないことから、彼はUBSを退職し、プライベートバンクの不正を世界に知らせるホイッスルブロアー(内部告発者)になる決意を固めるのだ……

 しかし日本語版監修者が「まえがき」で触れているように、この説明は素直には納得しがたい。それまで強欲な金持ちの上前をはねて豪奢な生活を楽しんでいたのに、一瞬にして「正義のひと」に変わってしまうからだ。

 この事件について報じたニューヨークタイムズ紙や米上院調査委員会の報告書(『Tax Haven Banks and U.S. Tax Compliance』)をあわせて考えると、告発までの経緯はおそらく次のようになる。

 バーケンフェルドがUBSの「秘密書類」に気づいたのとほぼ同じ2005年5月に、オレニコフが脱税で逮捕された。税務・司法当局の目的は、オレニコフを懲役と米国市民権剥奪の瀬戸際に追い詰め、巧緻に仕組まれた租税回避スキームの全容を解明することだった。

 オレニコフはリヒテンシュタインを経由してUBSに2億ドルの資産を隠匿していたが、このスキームを手がけたのはバーケンフェルドだった。オレニコフの逮捕を知った彼は、当然、大富豪が司法取引で自分の名前を明かすにちがいないと考えただろう。そうなれば社内で責任を問われることは避けられないから、ともかくUBSを退社しなければならない。

 ところがここで、UBSとバーケンフェルドのあいだに、60万スイスフラン(当時の為替レートで約5000万円)のボーナスをめぐってトラブルが起きる。バーケンフェルドは弁護士を雇ってこのボーナスを払わせるのだが、UBSがこの無理な要求を受け入れたのは「口止め料」の意味もあったのだろう。

 だがバーケンフェルドは、ボーナスを受け取るとすぐにアメリカに飛んで、ホイッスルブロアーとしてUBSの不正を司法省に告発するのだ。

ジュネーブは宗教改革発祥の地でもある。壁に彫られたカルヴァンなどの像      (Photo:©Alt Invest Com) 

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橘 玲(Tachibana Akira) 作家。1959年生まれ。早稲田大学卒業。「海外投資を楽しむ会」創設メンバーのひとり。著書に『お金持ちになれる黄金の羽根の拾い方』『(日本人)』(幻冬舎)、『臆病者のための株入門』『亜玖夢博士の経済入門』(文藝春秋)、『黄金の扉を開ける賢者の海外投資術』(ダイヤモンド社)など。
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