橘玲の世界投資見聞録 2017年8月3日

アメリカで富裕層の脱税ほう助を行なっていた
スイス・プライベートバンカーの告白

司法省は最初から最後まで、バーケンフェルドを「犯罪者」として扱った

『堕天使バンカー』によると、バーケンフェルドがはじめて司法省税務課を訪ねたとき、上席検事たちの対応はきわめて異様なものだった。彼らは最初からバーケンフェルドにきわめて敵対的な態度をとり、上席検事の隣に座っていた女性などは、挨拶の言葉を交わす前に彼を指さし、「あんたはホイッスルブロアーなんかじゃない、ただの情報屋だ」と金切り声をあげたのだという。

 バーケンフェルドによれば、そのときまで司法省はスイスのプライベートバンクの悪事についてなんの情報ももっていなかった。しかしそうなると検事たちは、スイスの金融機関の重要な秘密を提供すると申し出ている人物を、最初から拒絶したことになる。これは常識では考えられない行動なので、バーケンフェルドはさまざまな陰謀(政治家や司法省上層部にはUBSとの関係を知られたくない者がいる)を挙げていくのだが、先に脱税でつかまったオレニコフがバーケンフェルドの名前を告げていたと考えればすべてのつじつまはあう。

 そもそも『堕天使バンカー』には、なぜバーケンフェルドが内部告発先をIRSではなく司法省にしたのかの納得できる説明がない(弁護士の主張に乗せられたことになっている)。しかし彼には、司法省に行かなければならない理由があった。オレニコフの情報にもとづいてバーケンフェルドへの刑事訴追の準備が進んでいるのなら、それに対する免責を提供できるのは検事だけだからだ。

 しかしこれは、司法省でこの事件を担当していた者たちにとっては、破廉恥きわまりない提案だった。これまでさんざんアメリカの法を犯してき人間が、正義の「ホイッスルブロアー」となって現われ、「すべての罪を免除するなら情報を教えてやる」というのだから。もしこんな場面に立ち会えば、金切り声で相手を罵りたくもなるだろう。

 その後のバーケンフェルドの行動も、このような視点で見ればきわめて理にかなっている。

 司法省から免責を拒否された彼は、タックスヘイヴン批判の急先鋒だった民主党の上院議員カール・レビン(常設調査委員会議長)に情報を持ち込む。政治のちからによって、司法当局に圧力をかけようとしたのだ。

 2008年5月7日、米司法当局はUBSアメリカ部門トップ、マーティン・リヒティをマイアミ空港で事情聴取のため拘束したと発表した(リヒティはマイアミ経由でバハマに向かおうとしており、アメリカに入国するわけではないから問題ないと考えていた)。このときバーケンフェルドはジュネーブにいたが、UBS幹部の逮捕を知るとただちにアメリカに帰国し、ボストンのローガン空港で逮捕される。

『堕天使バンカー』にはっきり書かれているわけではないが、バーケンフェルドは自分に逮捕状が出ていることと、前科がない以上、仮に逮捕されても収監されないことを知ったうえでアメリカに帰国したのだろう。なぜわざわざそんな危険な道を選んだかというと、UBSの悪事について上院で証言するよう求められていたからだ。

 しかし事態はバーケンフェルドの思うようには進まない。上院調査委員会のスタッフは、公聴会への出席の話はなくなったと連絡してきた。その理由は、司法省がバーケンフェルドの証言を望まなかったからだ。

 ここでふたたび司法省の“陰謀”についての記述がつづくが、これはバーケンフェルドを脱税幇助で起訴した検事たちが、裁判の前に被疑者が“政治的な英雄”に祀り上げられることを嫌ったからだろう。司法省は最初から最後まで、バーケンフェルドを「犯罪者」として扱ってきたのだ。

ジュネーブに生まれ、フランス革命に大きな影響を与えたルターの像           (Photo:©Alt Invest Com) 

 

投獄されたが最後に億万長者になった男

 その後の事態の展開は、すでに広く報じられているとおりだ。

 米司法当局はバーケンフェルドの証言に基づき、UBSにはおよそ2万件の米国人口座があり、総額200億ドルの資産から毎年3億ドルが脱税されているとして、銀行側に対し米国人顧客の情報を提供するよう求めた。

 さらに2008年11月12日、UBSのプライベートバンキング部門を統括していた最高幹部ラウル・ワイルが脱税の共謀犯として起訴される。ワイルはすでにスイスに帰国しており、裁判所の出頭命令に応じなかったため、翌年1月に逃亡犯として国際指名手配された(2015年にワイルはイタリアで逮捕され、フロリダの連邦裁判所で裁判にかけられたが罪を免れた)。

 2009年2月18日、UBSは米司法当局との司法取引に応じ、IRSに対する詐取・横領の共謀を認め、総額7億8000万ドルを支払うとともに、スイスの法令に則って顧客情報を開示すると発表した。だが翌19日、IRSはUBSに対し5万2000件の顧客情報を提供するよう新たな裁判を起こした。それまで米国人関連口座は約2万件とされてきたが、その数は2倍以上に膨らみ疑惑はさらに拡大した(UBSはその後、適正に納税されていない米国人口座が約4万7000件にのぼることを正式に認めた)。

 連邦裁判所が顧客情報の提出を命じ、UBSがそれに応じない場合、司法取引は取り消され、UBSおよび経営幹部が刑事告発される可能性が高い。こうして事件は米国とスイスの外交問題に発展し、国務省やホワイトハウスを巻き込んだ紆余曲折の神経戦を経て、8月12日、UBSが4400件あまりの顧客情報を追加提出することでこの問題はようやく和解に至ったのだ――。

 ところで米国とスイスとのあいだの「政治決着」について、バーケンフェルドはオバマ政権で国務長官だったヒラリー・クリントンの関与を主張している。それによると、オバマ政権はUBSスキャンダルを大目に見ることとひきかえに、イランの最高指導者との仲介役にスイスを使うことにした。

 ヒラリーとスイスの外務大臣カルミ・レイとの会談の数カ月後、イランで人質にとられていたアメリカ人が解放された。またUBSは、2008年までクリントン財団に6万ドルほど寄附しただけだったが、会談後はそれが60万ドルに増え、いくつかの都心部開発計画で財団と提携するとして320万ドルを融資した。また国際問題について、ビル・クリントンとUBSのCEOが対談する謝礼として152万ドルを支払ったのだ。

 2009年8月、バーケンフェルドは脱税幇助の罪で40カ月(3年4カ月)の収監と、釈放後の3年間の執行猶予(監視)の刑が科せられた。しかしそのとき、彼は途方もない幸運を手にしていた。2006年半ばに、IRSがホイッスルブロアーに対する報償制度を創設したのだ。

 新たに施行された法律によれば、内部告発者にはその情報によって米国民が得た利益の15~30%の報償が与えられる。バーケンフェルドの場合は、算出の基準となるのはUBSが支払った7億8000万ドルの罰金のうち、SEC(証券取引委員会)の取り分である2億ドルを除いた約5億8000万ドルだ。

 2012年8月、品行方正により刑期を31カ月(2年半)に短縮されたバーケンフェルドは刑務所を出てニューハンプシャーに向かった。3年間の執行猶予を過ごすのに北東部のこの州を選んだのは、「われに自由を、さもなくば死を」をモットーとするこの地に(州)所得税がないからだった。

 9月初旬、バーケンフェルドに1億4000万ドル(約150億円)という莫大な報償が支払われた――実際に受領したのは、連邦所得税を控除したあとの約7600万ドル(約83億円)。こうして、アメリカの納税者の「正義」のためにたたかい、国家に裏切られて投獄され、最後は億万長者として報われた「ヒーロー」の物語は完結するのだ。

レマン湖の背後に、雪に覆われたマッターホルンが見える     (Photo:©Alt Invest Com) 
発売即重版決定! 幸福の「資本」論(橘玲著) 好評発売中

橘 玲(たちばな あきら)

 作家。2002年、金融小説『マネーロンダリング』(幻冬舎文庫)でデビュー。『お金持ちになれる黄金の羽根の拾い方』(幻冬舎)が30万部の大ヒット。著書に『日本の国家破産に備える資産防衛マニュアル』『橘玲の中国私論』(ダイヤモンド社)『「言ってはいけない 残酷すぎる真実』(新潮新書)など。ダイヤモンド社から発売即大幅重版となっている新刊『幸福の「資本」論 -あなたの未来を決める「3つの資本」と「8つの人生パターン」』が好評発売中。

橘玲『世の中の仕組みと人生のデザインを毎週木曜日に配信中!(20日間無料体験中) 


幸福の「資本」論|橘玲著 幸福の「資本」論 重版出来!
橘玲著

あなたの未来を決める「3つの資本」と「8つの人生パターン」。あなたが目指すべき人生は?
定価:1,500円(+税) 発行:ダイヤモンド社
購入はコチラ!
世の中の仕組みと人生のデザイン|橘玲のメルマガ配信中! 20日間無料 ザイでしか読めない!橘玲のメルマガ「世の中の仕組みと人生のデザイン」も好評配信中!
月額800円+税
いますぐ試す(20日間無料)

バックナンバー

»関連記事一覧を見る

海外投資必勝マニュアル&本

海外投資のノウハウが凝縮! ここで紹介しているコンテンツ、書籍はすべて、ネットから購入が可能です。さらに「海外投資実践マニュアル」は「海外投資を楽しむ会」の会員になれば割引価格で購入可能です。

作家・橘玲のディープなメルマガ
発売即重版決定! 橘玲の最新刊【幸福の「資本」論】発売!
橘 玲(Tachibana Akira) 作家。1959年生まれ。早稲田大学卒業。「海外投資を楽しむ会」創設メンバーのひとり。著書に『お金持ちになれる黄金の羽根の拾い方』『(日本人)』(幻冬舎)、『臆病者のための株入門』『亜玖夢博士の経済入門』(文藝春秋)、『黄金の扉を開ける賢者の海外投資術』(ダイヤモンド社)など。
橘玲×ZAiONLINE海外投資の歩き方
作家・橘玲がメルマガ配信を開始!
subcolumn下影

ページのトップに戻る

本WEBサイトに掲載している全ての記事およびデータについて、その情報源の正確性・確実性・適時性を保証したものではありません。本サイトの提供情報を利用することで被った被害について、当社および情報提供元は一切の責任を負いませ ん。万一、本サイトの提供情報の内容に誤りがあった場合でも、当社および情報提供元は一切責任を負いません。本サイトからアクセス可能な、第三者が運営するサイトのアドレスおよび掲載内容の正確性についても保証するものではなく、このような第三者サイトの利用による損害について、当社は一切責任を負いません。また、併せて下段の「プライバシーポリシー・著作権」もご確認ください。