1ドル76円前後という歴史的な円高、東日本大震災の発生と原発事故に伴う電力不足が、かつてないほどに国内産業空洞化への懸念を高めている。現在、工場等の海外移転を加速させる企業が少なくないのが現状だが、日本の産業空洞化が問題視されたのはこれがはじめてではない。実は、1985年のプラザ合意、1990年代半ばに円高傾向が強まった際にも大々的に議論されていた。しかし、東京理科大学の伊丹敬之教授は、「(当時は)空洞化はまだ起きていなかった」と語り、実際に今も多くの国内製造拠点が残っている。なぜ日本は円高圧力に屈せず、これまで空洞化を回避できたのか。そして、かつてないほど海外移転への圧力が高まっている今回も、空洞化は回避することができるのか。(聞き手/ダイヤモンド・オンライン 林恭子)

80~90年代に空洞化はまだ起きていなかった!
「ドーナツ化」ではなく「ピザ化」した日本

――1985年のプラザ合意後など、今回の歴史的な円高や電力不足が発生する以前から、日本は「産業の空洞化問題」にさらされてきた。

“20年周期の大地殻変動”を乗り越えられるか<br />超円高、電力不足の日本に残された「空洞化」回避の道<br />――東京理科大学 伊丹敬之教授に聞く東京理科大学総合科学技術経営研究科教授、一橋大学名誉教授。1945年愛知県生まれ。67年一橋大学商学部卒業。72年、カーネギー・メロン大学経営大学院博士課程修了。一橋大学大学院商学研究科教授を経て現職。
<主な著書>『経営戦略の論理』『マネジメント・コントロールの理論』『人本主義企業』『日本型コーポレートガバナンス』『よき経営者の姿』『イノベーションを興す』などがある。

 そもそも「空洞化」とは、1970年代にアメリカ製造業の海外生産移転に伴う国内への影響を指して使われ始めた言葉である。当時、アメリカでは海外生産が急ピッチで進んでおり、例えば、テレビ生産を一括してアジアに移転させ、国内工場は閉鎖、従業員の解雇が起きた。そうした国内生産基盤が空っぽになる状態を「ドーナツ型空洞化」として問題視されていた。

 空洞化は、二段階で起きる。まず、第一段階として国内から海外への「生産代替」。そして、第二段階は、生産代替によって起きる国内生産の縮小を生産の縮小へとつなげてしまう「生産転換しない」ことである。アメリカではそれがほぼ連動して起きる傾向が強く、そのために海外生産の拡大が直ちに国内の空洞化へつながってしまった。

 それに対して、1985年のプラザ合意後や1990年代半ばなどに円高が起きた日本では、どうだったか。空洞化をめぐる議論が活発的になされたものの、実はアメリカのようなドーナツ型空洞化は起きていない。