メルカリやCASHのビジネス倫理に「モヤモヤした違和感」を覚える理由フリマアプリの「メルカリ」で読書感想文などの宿題が販売されていることが議論を読んでいる。これは倫理的にどうなのだろうか?

 うちの娘が小学校6年生のときの話だ。夏休みの自由研究として「自分でデザインしたリュックサック」を製作したことがある。娘が完成させたリュックを見て、私も家内も頭を抱えてしまった。完成度が高すぎるのだ。

 娘は昔から造形物の製作が好きで、この時期はミシンが気に入っていて、型紙も使わずに直観だけで何でもつくっていた。夏休みに新宿のオカダヤ(手芸用品専門店)で何色かの帆布とファスナーの材料を買ってくると、創造力の赴くまま複雑に布地を組み合わせたリュックを一晩でつくり上げた。

 出来上がったものは便利なポケットが7つ付いている上に、メインの荷物をしまうスペースには丁寧に裏地まで付いている。なんというか、市販品にしか見えない仕上がりだったのだ。

 それを見て私と家内が困っているのを見ながら、大人の思考を理解し始めたうちの娘は笑いながら、端切れを集めてちゃちゃっとファスナー式のペンケースをもう一個つくって、「こっちを宿題で出すよ」と笑ったのであった。

メルカリ出品の読書感想文、
需要はあっても倫理的にどうか?

 さて、8月末になってフリマアプリの「メルカリ」で読書感想文や夏休みの自由研究などの宿題が販売されていることが議論になっている。こういうのを見て「いかがなものか?」と眉をひそめる人と同じくらい、こういうものを「買いたい」と思う人がいるのも世の中というものだ。きちんと需給が合致してマーケットが成立している。