新政権になって、細川護煕元首相が、今までになく政治の前面に出てきている。1993年の総選挙で日本新党から出馬して初当選した野田佳彦首相は言わば愛弟子。親心からいても立ってもいられないのだろう。

 その細川元首相は、民主党代表選挙の前に、野田首相に会ってこう伝えたという(9月15日朝日新聞)。

「国民福祉税の失敗は行政改革を並行してやらなかったことだ。増税を掲げるなら、厳しい行革を伴わないとだめだ」

 さすがに正鵠を得た忠告だ。行革で納得できる成果を挙げない限り、消費税増税は決して実現しない。それどころか、内閣は早期の退陣を余儀なくされる。

人気絶頂の細川政権を崩壊へ導いた
「国民福祉税」の提案

 細川政権の94年1月から2月に至る政局の激動を、私は昨日のことのように鮮明に覚えている。

 当時、細川首相の特別補佐を務めていた私は、1月末に政治改革関連法案が成立すると翌日直ちに特別補佐を辞任し、党(新党さきがけ)に帰り、代表代行として党の運営に専念した。就任時に細川首相とそう約束していたからだ。

 あのとき政治改革法を成立させたことで、細川内閣の支持率は何と80%に達していたのである。

 ところが、4日後の2月3日深夜、細川首相は記者会見を開き、突然“国民福祉税”(消費税)7%の提案をした。

 これに対して野党のみならず与党からも猛反発を受けて2日後に撤回。以後、急坂をころがるように政権は崩壊の一途を辿った。

 私は細川提案の翌4日朝の“さきがけ日本新党”の議員総会において、景気と行革を理由に先頭に立ってこの提案を退けたのである。

 3日前まで首相に仕えた身であったのだから、この一件は、私の政治生活の中で最も苦渋に満ちた一幕であった。