生徒を「お客さん」と考える学校や先生
過度なサービスが「甘え社員」の温床に

 先日ある会合で、大学の先生をされている方が「学校や先生の過度なサービスが学生を弱体化させている」というお話をされた。

 その先生が気になるのは、学生の甘え。そして、その甘え自体に恥ずかしさや悪びれた様子がないことらしい。

 たとえば、授業に関して「聞き逃したのでもう一度説明してもらえますか」と堂々とお願いしてくる学生がいる。聞き逃したのであれば、自分の責任で、友達に確認をするなどの行為をするべきなのだが、先生にそれを求めてくる。

 あるいは調査を指示すると、「何を参考にしたらいいのか」などの「てにをは」を聞いてくる。自分から考える前に、その情報提供を求める。その先生は、そのような場合、生徒に「あるべき態度・行動」を厳しく指導されるようだが、そういった学生の要求に、優しく丁寧に応える先生や学校側の姿勢が全般的に目立つようである。

「過度なサービス業」に陥った学校や先生が存在する結果、「自分から行動を起こさなくても、何でもサービスしてもらえる」という受動的な考え方の学生を育ててしまっているのではないかということである。

 今の時代に考えられることは、そのような自分の甘えに対してサービスで報いてくれなければ、クレームという形で返してくるケースがあることだ。確かに、その行為はまるで「子ども」のようである。しかし、今は、そうしたクレームを学校が受け入れるし、先生には「学生が先生を評価する」という武器もある。

 そう考えると、本当に社会に通用する学生を指導をする先生が、学生から必ずしも高い評価を得るわけではないという問題も生じかねない。

 顧客満足というビジネス用語が一般的になり、近年はとかくなんでも利用者を「お客様」と捉えて物事を考える習慣が馴染んでいる。しかし、学生を「お客様」と考えて、サービスし過ぎるのは、長い目で見れば本人にとっても社会にとってもマイナスなのではないかということである。