セルジオ・マルキオンネが2004年、イタリアの自動車メーカー、フィアットグループのCEOに就任した時、同社は、赤字の拡大、新製品の失敗、労使紛争などが相次ぎ、3年間でトップが4回も入れ替わるという最悪の状況にあった。

彼は、一人の偉大なリーダーがすべてを決定するという伝統と決別し、社内外、年齢、国籍を問わず、優秀な人材を積極的に登用したり、ストレッチ・ゴールを課したり、成果主義を導入したり、ベスト・プラクティスに学んだりと、世界標準の経営を進める一方、360度評価ではなく対話によって査定する、レイオフや工場閉鎖をしないなど、ヨーロッパ、とりわけイタリアの文化を尊重しながら、変革をみごと成功させた。

泥沼からの脱出

 4年前、フィアットは物笑いの種だった。イタリアで新聞を広げるたびに、「フィアット、赤字拡大」「フィアット、新型車不発に終わる」「フィアット、どこそこでストライキ」等々、情けない記事ばかりが載っていた。

セルジオ・マルキオンネ
Sergio Marchionne
イタリアのトリノに本社を置くフィアットグループならびにフィアットグループオートモービルズのCEO。また、スイスに本部を置く世界最大級の検査および審査登録機関、ソシエテ・ジェネラル・デ・サーベイランス(SGS)の会長を務める。

 私にとってそれ以上に気がかりだったのは、3年間でCEOが四回も入れ替わっていることだった。私は、大方の目には「死に体」に映っている企業の再生を請け負う五番目の男であった。そんな私が、2004年6月に初出勤した時、どのような思いだったか、ご想像いただきたい。

 また、フィアット経営陣はどのように感じていたのか、想像してほしい。自動車業界についてはほとんど素人同然の私──しかも、1966年にイタリアからカナダに移住しており、外国人同然でもあった──がやってきて、彼らのリーダーになったのだから。

 全員、頭を抱えて、「ほら、まただ。この新米CEOにも、自動車ビジネスとは何か、1から教えてやらなきゃいけないんだろうなあ。彼も前任者と同じ結果に終わるなら、もうやってられない」と思っただろう。彼らの顔に、そう書いてあった。私が彼らの立場だったら、きっとそう感じたはずだ。

 さらに言えば、自動車ビジネスは信じられないくらい厳しい。私はそれまで、価値の破壊という点では、製薬会社こそ最悪だと思っていたが、自動車産業は間違いなく、それ以上だった。

 トヨタ自動車やポルシェなど、数少ない例外はあるとはいえ、自動車メーカーは何年にもわたって価値を破壊し続けてきた。なかでもフィアットは、最悪な企業の1つだった。

 しかし、いまや隔世の感がある。黒字転換を果たし、世界最小の乗用車の1つ〈フィアット500〉の最新モデルは業界の話題になった。

 企業再建を達成するまで、会社の運営方法を抜本的に変える必要があった。これまでずっとフィアットの特徴であった、偉大な人物がリーダーシップを発揮することを放棄し、だれでもリーダーになれるような企業文化の育成に努めた。

 CEOとしての私の役割は、事業上の意思決定を下すことではなく、背伸びしなければ届かない目標を設定し、それをどのように達成するか、マネジャーたちを支援することである。