また朝鮮半島で軍事的衝突に至るのは日本を含め大きな犠牲をもたらすことが必至であり、避けたい。

 従って、外交的解決を図りたいが、このためには、北朝鮮が核廃棄の交渉に応じざるを得ないよう孤立させることが必要だ。

 今、国際社会が一致して北朝鮮への経済制裁を実行することが求められ、特に北朝鮮の貿易の9割を占めると言われる中国の行動が鍵を握る。

 これが「圧力」の論理であり、これが当面の方針であるのは間違っていない。

何故「対話」が必要か?
対話と圧力は一対の概念

 しかしながら何らかの形で北朝鮮との間でコミュニケーションが行われていなければ、「圧力から交渉」につながらない。

 また偶発的な衝突を避けるうえでも対話は必要だ。

 本来、「対話と圧力」は一対の概念であり、対話だけ、圧力だけは概念として成り立たない。

 冷戦時代でもあるいは国際紛争の中でも何らかの形の対話は維持され、これが結果的に交渉につながっていったのは歴史が示すところだ。

 従って「圧力」を唱えるのが毅然としており、「対話」を唱えるのは弱腰で融和主義と捉えるのは大きな間違いだ。

 もっとも、現状は、北朝鮮と他国政府の間で公然と対話を行う環境は未だ整っていないし、これまでの北朝鮮との交渉の歴史を見れば、結果的に北朝鮮は国際社会を偽り、一方で交渉を行いつつも他方で核開発を行ってきたことは明らかだ。

 したがって今回は「核廃棄」につながる交渉でなければならない。だから当面は対話と言っても水面下で非公式な形で行うと言うことなのだろう。

日本が常に「圧力」を掲げるのは
外交姿勢として正しいか?

 最近の安倍首相の外遊での首脳会談や電話首脳会談の結果、新聞の見出しで踊るのは「対北朝鮮圧力強化」の文字だ。

 本来の首脳同士の合意の趣旨は「北朝鮮問題の外交的解決のためには北朝鮮制裁の厳格な実行が必要である」ということなのだろう。これがすべて「圧力」と置き換えられることにより、国内では“強硬論一辺倒”の雰囲気を生んでいく。

 本来の圧力は、静かにかけて相手に感じさせるものであり、それを声高に言うほど、特に北朝鮮のように大国に蹂躙されてきた国は「圧力には断固戦う」という誤った大義を生んでしまう。