スティーブ・ジョブズ氏を間近で見てきたソフトバンクの孫正義社長の悲しみは深い。その経営スタイルと人物像を聞いた。

芸術と技術を融合させた現代のダヴィンチ<br />――孫 正義インタビュー<br />週刊ダイヤモンド10月22日号巻頭特集<br />「スティーブ・ジョブズ超人伝説」より特別公開Photo by Toshiaki Usami

 スティーブと初めてじっくりと話をしたのは、彼が米アップルに復帰した頃でした。ラリー・エリソン(米オラクル創業者)宅のサクラの木の下でインターネットの将来について語り合いました。まだアップルを追放された心の傷は癒えておらず、満身創痍といった様子でした。それから、互いの会社や自宅を行き来するようになりました。

 初めてiPhoneを手にしたときは鳥肌が立ちました。それまで携帯電話に本物のOSが入ったことはなく、ユーザーインターフェースも革新的でした。

 スティーブはiPhone開発後に「とにかくすごいぞ。パンツにおもらしするぞ。他社は少なくとも5年追いつけない」と断言していました。その言葉どおりでした。たった1機種の端末が世界の携帯電話メーカーを震撼させました。

 じつは、携帯電話事業に参入する前、スティーブに「iPodとケータイを足したようなものを作ってほしい。世界で革新的なモバイルを作れるのはあなたしかいない」と頼みました。次にやることはモバイルインターネットだと心に決めており、差別化のための製品が必要だったからです。

 当時はまだ英ボーダフォン日本法人を買収する前でしたし、通信事業の免許もありませんでした。iPhoneの開発をすでにしていたとは知りませんでしたが、スティーブは「わかった。その時期が来たらぜひ一緒に組もう。免許を取ったらまた来てほしい」と笑っていました。

 その後、iPhone発表の前にも「早く出してほしい。米国と日本で同時に出してくれ」と何度も働きかけました。しかし「ダメだ。納得のいくレベルになっていない」と断られました。ただ、「そのときの心の準備に」と、世界で唯一、iPodとソフトバンクの携帯電話をセット販売しました。