日銀内に漂う、政府との緊張感が薄れた「平静ムード」の正体

「アベノミクス」が始まってまもなく5年が経過する。新日銀法施行以降も緊張感に包まれていた政府と日銀の関係は、黒田東彦・日銀総裁の就任、そして進める異次元緩和政策によって大きく変化した。DOL特集「砂上の楼閣 日本銀行」第7回では、関係変化の裏にあるものを探る。(時事通信社解説委員 軽部謙介)

 政府の“圧力”に負けて
狂乱物価やバブルを生んだ過去

 かつて、金融政策をめぐって政府と日銀がバトルを繰り広げた例は枚挙にいとまがないし、「独立性」の維持に苦闘する日銀の姿が常にあった。

 1987年1月、のちにバブルを生み出すことになる金融政策の“決断”も、政府高官からの一本の電話が契機だった。

「宮沢さんが米国に行く決断をした。宮沢さんは、日銀も協力してくれないかと言っていますけれどもどうですか」

 声の主は、大蔵省(現財務省)の吉野良彦事務次官(以降肩書きはいずれ当時)。

 日銀の三重野康副総裁に対し、宮沢喜一蔵相が円高是正の要請で米ワシントンに行くことになったと説明した後、次官はそう言ったのだ。