橘玲の世界投資見聞録 2017年10月12日

デンマークの白人男性・モートンがイスラム教に改宗し、
やがてスパイとなった理由
[橘玲の世界投資見聞録]

ロンドニスタンのジハード主義者ネットワークの中心に

 デンマークの地方都市で手のつけられない不良だったモーテンがイスラームに改宗した理由ははっきり書かれていない(本人にもよくわからないのかもしれない)が、その後の経緯はきわめて明快だ。ヨーロッパ系白人がイスラームに改宗するのは珍しいので、モーテンがムスリムだとわかると、デンマークの拘置所でも、イギリスの地方都市の路上でも、モスクの書店でも次々と声をかけられ、ベルトコンベアーに乗せられたように「ほんとうのイスラーム」へと誘導されていくのだ。

 イエメンの神学校で1年を過ごしたモーテンは、1998年、イスラーム原理主義のサラフィー主義者としてイギリスに帰還することになる。

 ロンドンのモスクに出入するようになったモーテンのまわりに、たちまち熱心なムスリムの若者たちが近づいてきた。とりわけ下町のブリクトンや北部のフィンズベリー・パークにあるモスクは、サラフィー主義者が集まることで知られていた。

 1990年代のイギリスはアラブ諸国のジハード主義者に対して寛容な受入れ政策を採っており、ロンドンは「ロンドニスタン」と呼ばれるほど、過激な思想を抱くムスリムが「亡命」してきていた。彼らはみな、ムスリムを迫害する欧米に恨みを晴らしたいと怒りに燃えていた。

 モロッコ系フランス人のザカリアス・ムサウィは、友人と2人でフランス当局の追及から逃れてロンドンに渡ってきた。30歳になったばかりで、ロンドン・サウスバンク大学で修士号を取得していた。寡黙で控えめで、自分のことはめったに話さず、家族の話はけっしてしなかった。

 当時はネット動画の黎明期で、ロシア軍がチェチェンの首都グロズヌイで民間人に残虐行為を行なう映像をみんなで見た。ムサウィは目を輝かせ、頭を横に振りながら画面にじっと見入り、「不信心者(カーフィル)のロシア人め」とつぶやいた。「グロズヌイでロシア軍一個小隊を道連れにできるなら、喜んで死ぬよ」

 1999年10月、ロシアがグロズヌイで地上戦を開始し、焦土作戦によって何万人もの市民が家を捨てて逃げることを余儀なくされた。それにもかかわらず、ロンドンのモスクの説教師は、チェチェンの抵抗への支援活動はおろか、彼らのために祈ろうと呼びかけることさえしなかった。ムサウィは怒りをあらわにし、戦闘服を着てブリクストンのモスクに現われ、さらに過激な北ロンドンのフィンズベリー・パークのモスクに通うようになった。

 そんなムサウィに畏敬の念を抱いていたのがジャマイカ系イギリス人のリチャード・リードで、軽犯罪の前科があり、キリスト教からイスラームへの改宗者だった。

 1999年末頃、ムサウィとリードとの連絡が途絶えた。2人がアフガニスタンに行き、アルカーイダの軍事キャンプで訓練を受けているという噂が流れた。

 2001年9月11日の同時多発テロのすこし前、ムサウィはミネソタで逮捕された。彼は飛行機の操縦訓練を受けるためにアメリカに入国しており、事件後に「二十人目の実行犯」として知られることになる。

 2001年11月22日、リードは靴に爆薬を仕込んでパリ発マイアミ行きの便に搭乗し、靴に隠した導火線に火をつけようとしたとき、客室乗務員と乗客に取り押さえられた。その後リードは「シュー・ボマー」と呼ばれるようになる。

 気づかないうちに、モーテンは「ロンドンニスタン」のジハード主義者ネットワークの中心にいたのだ。

ヨーロッパの金融の中心であるロンドンは、各国のジハーディストが集まる「ロンドニスタン」でもあった                           (Photo:©Alt Invest Com) 

 

モロッコの娘・カリーマとの結婚

 2000年はじめにモーテンはデンマークに帰国し、数カ月の刑に服することになる。旅行中にパスポートが破損していたためで、再発行するにはデンマーク大使館に行かなくてはならなかったからだ。パスポートが必要なのは、敬虔なイスラームの国で暮らしたかったからだという。

 しかしそこには、もうひとつ理由があったようだ。

 その頃、モーテンはネットでムスリムの“婚活”サイトをよく閲覧していた。ヒジャブを着用し、かしこまった表情の写真をアップする女性たちは、敬虔で従順な良き妻になると約束していた。

 そのなかでモーテンは、モロッコの首都ラバトに住むカリーマという女性に目を引かれた。カリーマは英語を話し、教養があり、戒律を重んじる女性だった。彼女はモーテンにひと言、「わたしと結婚するつもりはありますか?」という質問を投げかけてきた。

 ここからわかるのは、イスラーム諸国には、結婚によってヨーロッパに移住することを夢見る若い女性がたくさんいるということだ。だが彼女たちは、ムスリムの男性としか結婚することができない。それが白人であれば、なおさら都合がいいだろう。

 パスポートを手に入れたモーテンはすぐにモロッコに飛び、カリーマの兄弟の事前審査を受けた。イエメンの神学校で学んだことが好印象を与え、結婚の許可はかんたんに下りた。

 カリーマは小柄で、オリーブ色の肌にアーモンド形の目をしていた。慎み深い態度から、深い信仰心をもっていることがわかった。数日後、2人は結婚した。

 同時多発テロの翌年、カリーマはモロッコで男児を出産し、モーテンは息子をウサマと名づけた。名前を知らせると、母は電話の向こうで「ダメよ、そんな名前。気は確かなの?」と叫んだ。

 それでも2002年の夏、生後3カ月の孫を見せにモーテンは妻とデンマークに帰郷した。最初の歓迎の時期が過ぎると、この奇妙な家族は近所から疑いの目で見られるようになり、アラビア語が飛び交う地区の3LDKのアパートに引っ越すことにした。

 この頃から、夫婦関係はうまくいかなくなった。

 ヨーロッパでの快適な生活に憧れていたカリーマには、みすぼらしいアパートは意に染まなかった。じゅうぶんな生活を送れないことで夫をなじるようになり、モーテンがイギリスに仕事を探しにいっているあいだにモロッコに帰ってしまった。カリーマは第二子を妊娠していて、2003年8月にラバトで娘のサラが生まれた。

 モートンはイギリスの地方都市で倉庫のフォークリフトを運転する仕事を見つけ、カリーマが2人の子どもを連れてモロッコからやってきた。しかしイギリスに移っても夫婦関係は冷え切ったままで、カリーマは感情の起伏が激しくなり、子どもの世話にも手を焼いた。あるときなど、長いあいだ家に帰らなかったことで口論になり、カリーマはモートンの顔につばを吐きかけた。

 2004年の秋、カリーマはいった。「出ていってもらえない? 家にいてほしくないの」

 カリーマが求めたのは“イスラム式離婚”で、しかも新しい夫探しを手伝ってほしいという。見ず知らずの男を子どもたちの住む家に入れるよりはましだと思い、モートンはトルコ人の友人を妻に紹介した。

 その友人も「彼女には我慢ならなかった」と3日で家を出て、けっきょくモートンが家に戻ることになった。イギリス情報機関のロバートが家を訪ねて来たのは、ちょうどその頃だ。


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橘 玲(Tachibana Akira) 作家。1959年生まれ。早稲田大学卒業。「海外投資を楽しむ会」創設メンバーのひとり。著書に『お金持ちになれる黄金の羽根の拾い方』『(日本人)』(幻冬舎)、『臆病者のための株入門』『亜玖夢博士の経済入門』(文藝春秋)、『黄金の扉を開ける賢者の海外投資術』(ダイヤモンド社)など。
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