スティーブ・ジョブズが米アップルを離れていた頃に、単独取材に成功した日本人がいた。メディア事業家の小林弘人氏に話を聞いた。

“人間の能力の拡張”を提案<br />それが彼のビジョンだった<br />――小林弘人「日本語版WIRED」元編集長インタビュー<br />週刊ダイヤモンド10月22日号巻頭特集<br />「スティーブ・ジョブズ超人伝説」より特別公開小林弘人(こばやし・ひろと)●メディア事業家 1994年から98年まで、「日本語版WIRED」の編集長を務める。発行会社の解散に伴って、98年にインフォバーンを設立。2010年4月より、東京大学大学院の非常勤講師として、旧来型の紙メディアから最新型のウェブメディアまでのビジネスを教える。現在、企業のメディア化とファンづくりについての新作を執筆中。
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 1985年の春、自らスカウトした社長によって、米アップルを追放されたスティーブ・ジョブズは、翌86年に「NeXT」という新会社を立ち上げます。

 以前、私は「日本語版WIRED」(94年11月~98年11月)の編集長を務めていました。「スティーブ・ジョブズ特集号」は、95年8月号でしたので、ジョブズに会ったのはその年の春です。

 世界的に見ても、NeXT社時代のインタビューは珍しく、当時も一部のコンピュータ専門誌以外には出ていませんでした。ずっとジョブズを追いかけて、インタビューしたかった本家の「WIRED」編集部よりも先に、日本語版の編集部が単独取材を実現したことから、当時の英語版の編集委員も同席したほどでした。

 それまで、ジョブズを直接知るいろんな人たちから「過去の例を見てもわかるように、取材は難航するぞ」と脅かされていたこともあり、スタッフ全員がひどく緊張していたことを覚えています。

 ところが、ミーティングルームに現れた彼は、こちらが拍子抜けしてしまうほど気さくなジーンズ姿の青年でした。ただし、自分では“ただのツール屋”と形容していましたが、シンプルな言葉づかいで熱くコンピューティングの将来を語る姿や、射抜くような視線は、とうてい“ただのツール屋”ではありませんでしたね。

 当時のNeXT社は、UNIXのワークステーションを開発していました。最初は、「消費者向け」の会社でしたが、なかなかうまく行かず、途中から「企業向け」に方針転換していました。

 これは私の推測ですが、彼らは日本の銀行を含む、世界中の金融機関を顧客にしていましたので、NeXT社の先進的な取り組みをアピールしたかったのかもしれません。というのも、技術的な説明は割愛しますが、「オブジェクト指向」(ソフトウエアの設計や開発で操作手順よりも操作対象に重点を置く考え方)で、かなり画期的なOSを開発していたからです。

 その後、96年の冬にアップルがNeXT社を買収することで合意し、ジョブズは電撃的な復帰を果たします。NeXT社が開発していたOSの基盤技術(UNIXベース)や、グラフィカル・ユーザー・インターフェースは、そのままアップルに引き継がれました。その技術は、現在のiPhoneなどの消費者向け製品にも応用されています。

 それが可能なのも、NeXT社の頃から、UNIXに乗るOSのプログラムを書いてきたからで、ようやく今になって、消費者向け市場でも花が開いたといえます。