1992年、Jリーグの開幕の前年から始まり、今年で25回目を迎えるサッカー・Jリーグルヴァンカップ。昨年の8月末まではJリーグヤマザキナビスコカップの名称だったが、スポンサーのヤマザキビスケット(旧ヤマザキ・ナビスコ)の社名変更に伴い、大会名も変わった。25回目の節目を迎える決勝を前に、ファイナリストの1人である川崎フロンターレの中村憲剛選手と、ヤマザキビスケットの飯島茂彰社長の対談が実現した。

「息子がプロ選手になった。
ナビスコカップを獲りに行くから」

──そもそも中村選手のお父様と飯島社長は、古くからのお知り合いだったそうですね。

川崎F・中村憲剛選手とYBC・飯島茂彰社長、ルヴァン杯が結ぶ「接点」「憲剛くんがプロになって、お父さん、よっぽど嬉しかったんだろうね」 Photo by Kazutoshi Sumitomo

飯島 1970年頃ですかね、私が当社でマーケティング部長をやっていた時に、憲剛君のお父さんが(広告代理店の)マッキャンエリクソンで営業部長をされてて、その関係でかなり親しくお付き合いしていたんですよ。

中村 僕、80年生まれなので、生まれる全然前ですね。でもプロになる以前から、父と飯島社長が知り合いだという話は聞いていました。

飯島 中村選手がプロ入りした2003年には、お父さんから連絡をもらってるんですよ。「息子がプロ選手になった。ナビスコカップを獲りに行くから」と。勝ったら私がカップを授与するわけですから「しっかり頑張ってくれ」と話をした記憶があります。

 でも、それまでお父さんからは、息子がサッカーをやっているという話は聞いたことなかったんです。

中村 言うほどの選手じゃなかったですから(笑)。僕がテスト生からプロになって、やっと飯島社長に連絡できる資格を得たという感じだったんでしょう。

飯島 よっぽど嬉しかったんだろうね。