橘玲の世界投資見聞録 2017年12月7日

マイクロクレジットは“奇跡”を起こしたのではなく
貧しい国に「当たり前の世界」を作り出した
[橘玲の世界投資見聞録]

共同体意識があれば連帯責任はいらない

 個人責任と連帯責任を比較するRCTに協力したのはフィリピンの農村銀行グリーンバンク・オブ・カラガで、レイテ島とセブ島でランダムに振り分けたグループに異なるタイプの融資を行なった。

 数カ月経過したあとの結果は、シンプルなものだった。連帯責任をやめると顧客の負担が軽くなり、それが新たな顧客を惹きつける。個人責任に移行したグループは連帯責任をつづけたグループより多くの新しいメンバーを獲得し、脱落者は少なかった。

 ここまでは予想どおりだが、個人責任には別のメリットがあることもわかった。

 他人の借金を肩代わりしなくてもよくなったことで、グループのメンバーたちはお互いをすこし大目に見るようになり、仲間の誰かをグループから追い出すことが少なくなった。次に、知り合いに催促したり罰を与えたりしなくてはならないことがイヤで参加を躊躇していたひとたちが仲間に加わった。彼らは、友人や親類も積極的に誘うようになった。

 マイクロクレジットが連帯責任を採用したのは、返済への強いプレッシャーを顧客に与えられるからだ。これによって返済率を高くし、銀行の負担を減らすことで融資金利を引き下げることが可能になる。個人責任を導入する際のいちばんの懸念は、そんなことをすれば借金を踏み倒す顧客が続出するのではないか、ということだった。

 カーランたちの実験でいちばんの驚きは、個人責任にしても返済率はほとんど変わらなかったことだった。もちろん債務不履行はすこし増えたが、それ以上に新規の顧客が開拓できたので、トータルで銀行の収益は大きく伸びた。

 個人責任でも連帯責任でも返済率の差があまりないとすれば、なにがマイクロクレジットを成功させたのだろうか。それを知るために、これまでどおり週1回返済集会を行なうグループと、月1回に変更したグループでRCTが行なわれた。

 この実験では、最初は負担のすくない月1回のグループのほうがうまくいくように思えた。だが開始から5カ月たったときには、大きなちがいが生じていた。週払いをしているグループは、他のメンバーの家族の名前を知っている割合と、自宅を訪問したことのある割合が、月払いのグループより90%も高くなったのだ。

 そしてこれが、両者の返済率に差につながった。週払いのグループは誰かが返済に窮すると自主的に助け合うようになったが、月払いのグループでは、そのような協力が行なわれる割合がずっと少なかったのだ。

 それ以外の条件を変えたRCTも行なわれていて、その結果は次のようにまとめられる。

(1) しばしば会うひとたちのグループのほうが、たまにしか会わないひとたちのグループより返済率が高い。
(2) 人種や宗教、文化などの社会的な指標でよく似たひとたちを集めたグループの方が返済率が高い。
(3) 「家から歩いて10分以内」というように、近所に住むひとたちをグループにした方が返済率が高い。

 こうした実験を総括すると、なぜマイクロクレジットが個人責任に移行しても高い返済率を維持できたのかがわかる。それはグループのメンバー間に信頼関係が生じたからであり、別の表現を使うなら、共同体(ムラ社会)の圧力が加わったからだ。だが、めったに会わないひと、共通するものがないひと、遠くに住んでいるひととは、こうした共同体意識をつくることが難しい。その結果、借金を踏み倒して恥ずかしい思いをすることが気にならなくなるのだ。

映画『スラムドッグ$ミリオネア』の舞台となったムンバイのスラム、ダラビ  (Photo:cAlt Invest Com) 

 

RCTが解明したマイクロクレジットの“奇跡”の謎

 RCTを駆使することによって、マイクロクレジットの“奇跡”の謎が解明された。

 貧困国でマイクロクレジットがひとびとをゆたかにするのは、金融市場が整備されていないために、事業の意欲も才能もあるひとが実力を発揮できずに埋もれているからだ。これはいわば、公教育のない地域に学校を建てるのに近い。明治期の日本もそうだが、農村には高い才能をもちながらもそれを発揮できない子どもがたくさんいて、公教育が彼らを発掘したことが経済成長のエンジンになった。

 埋もれた起業家が才能を発揮できないのは、政府や自治体、公的金融機関にそういうひとを探し出して融資する仕組みがなかったからだ。ところがムハメド・ユヌスは、街の金貸しはその困難なビジネスをちゃんとこなしていることを発見した。そこから、高金利(とはいえ街の金貸しよりはずっと低利)で少額のお金を連帯責任で融資するという、誰も思いつかなかったビジネスモデルが誕生した。このイノベーションから、貧困国で続々と起業家が誕生するという“奇跡”が生まれたのだ。

 だが残念なことに、このモデルは欧米や日本ではほとんど機能しない。

 先進国にはさまざまな融資制度が整っているから、有能なひとはさっさと低利の融資で起業するだろう。――たとえば日本では、信用保証協会の起業家向け融資と自治体の利子補給を組み合わせれば、無担保でも1000万円くらいの起業資金をほぼ無利子で借りることができる。有能なひとほど、“高利”のマイクロクレジットなど利用しないのだ。

 連帯責任が機能したのは、貧しい地域では、セーフティネットが家族・親族・地域の友人たちとのつながり(社会資本)しかないからだ。それを失ってしまうと生きてはいけなくなるのだから、連帯責任というのは、なにひとつ担保をもたないひとたちが社会資本を担保に差し出して融資を受けるシステムだった。

 RCTの検証では、返済率を高めているのは「社会資本という担保」で、それさえあれば連帯責任を個人責任に変えてもマイクロクレジットがうまくいくことを証明した。逆に、社会資本が傷つかないような状況では、さっさと踏み倒すのがもっとも経済合理的な行動になるだろう。

 そしてこのことが、マイクロクレジットを先進国に導入してもうまくいかないもうひとつの理由を説明する。欧米や日本のような社会(とりわけ都市部)では、貧困層は孤立していて、自分たちが同じ「共同体」の一員という意識はない。ユヌスの成果に感動したヒラリー・クリントンがシカゴの貧困地区にマイクロクレジットを導入しようと試みたものの、なんの成果も得られなかったのはこれが理由だ。共同体意識のないところで外見だけを真似ても、便利なATM代わり使われるのがおちなのだ。

 マイクロクレジットは素晴らしいイノベーションだが、それは“奇跡”を起こせるわけではない。才能のある「埋もれた事業家」を効率的に発掘する仕組みだからこそ、貧しい国で成功することができた。そしてこのことは経済学のインセンティブ理論でちゃんと説明できるから、そこになんの不思議もない。

 マイクロクレジットは、貧しい国に「当たり前の世界」をつくることができるからこそ、役に立つのだ。

ムンバイの洗濯カーストの街ドービガート    (Photo:cAlt Invest Com) 


 

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橘 玲(たちばな あきら)

 作家。2002年、金融小説『マネーロンダリング』(幻冬舎文庫)でデビュー。『お金持ちになれる黄金の羽根の拾い方』(幻冬舎)が30万部の大ヒット。著書に『日本の国家破産に備える資産防衛マニュアル』『橘玲の中国私論』(ダイヤモンド社)『「言ってはいけない 残酷すぎる真実』(新潮新書)など。新刊『幸福の「資本」論 -あなたの未来を決める「3つの資本」と「8つの人生パターン」』(ダイヤモンド社刊)が好評発売中。

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橘 玲(Tachibana Akira) 作家。1959年生まれ。早稲田大学卒業。「海外投資を楽しむ会」創設メンバーのひとり。著書に『お金持ちになれる黄金の羽根の拾い方』『(日本人)』(幻冬舎)、『臆病者のための株入門』『亜玖夢博士の経済入門』(文藝春秋)、『黄金の扉を開ける賢者の海外投資術』(ダイヤモンド社)など。
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