茂永氏は祭りを人質に取って
息子を宮司にするよう迫った

 わかりやすいのが、全国の八幡宮の総本社である宇佐神宮(大分県)の「放生会」という神事だ。昨年亡くなった著名な古代史家である上田正昭・京都大学名誉教授は、この神事を研究して、その目的が古代の鹿児島・宮崎地域で暮らしていた民族「隼人」が大和朝廷に対して反乱を起こして征討されたことへの鎮魂だと「AERA」(1994年5月30日)の記事で主張した。

 大和朝廷からすれば、隼人は辺境から反乱を企てる「悪」以外の何物でもないので、当初は鎮魂など行わなかった。が、なぜそれが行われるようになったのかというと「祟り」のせいだ。

 伝承では隼人に対して、1400人という夥しい数の大量虐殺が行われた数年後、宇佐神宮一帯で、蜷貝(にながい)が異常発生し、征討軍に関わった宇佐神宮の神官らが隼人の祟りでは、と恐れはじめたという。その後、海に蜷貝を放ち、殺生をたしなめる「放生会」が始まったという。

 そのような「怨霊」というものの基本的性格を踏まえると、茂永氏の「怨霊宣言」というものが、富岡八幡宮や「(殺された姉の)長子派」の方たちにとって、行くも地獄、引くも地獄という非常に巧妙な「トラップ」となっている。

 実は、この「遺書」の中で茂永氏は、息子が宮司になれなかった場合は「私が作らせた一の宮と二の宮神輿を出す事を今後一切禁止します」とも述べ、これが破られたら、神輿総代会の幹事総代やその子孫にまで「永遠に祟り続けます」と言っている。

 一の宮神輿は1991年に佐川急便の故・佐川清会長が奉納したもの。ダイヤモンドやルビーがちりばめられ「日本最大の金ピカ神輿」として話題になったものだが、重すぎて担がれる機会もないので、このまま出せなくても特に問題はない。が、問題は97年に奉納された二の宮神輿の方である。こちらは毎年行われる「深川八幡祭り」で使われているものだからだ。

 つまり、茂永氏は、江戸三大祭りの1つとして30万人もの人出があるとされ、地域活性化にも貢献する祭りを、いわば「人質」にとって、息子を宮司にするよう迫っているのだ。