今回は前回に引き続き「グローバル化の壁」について考えていきます。

 2つ目の壁は、「多様性」です。前回お話しした第1の壁、言語の問題がなんとかなったとしましょう。しかし、違った国に出ていくと、そこではさまざまなものごとの「やり方」が異なります。日本の中でのやり方がそのまま通用するわけではない。経営が直面する多様性は増大します。言語的にはコミュニケーションできても、その背後にある仕事のやり方やマインドセットが違っていれば、経営は難しくなる。グローバル化との関連で、「ダイバーシティ」とか「クロスカルチュラル・マネジメント」といったキーワードが注目されるという成り行きです。

島国根性で多様性のマネジメントが下手
このままではグローバルに通用しない、は本当か?

 こうした言葉には、異なる文化、人種、性別、宗教などの多様性を受け入れれば、それはむしろモノカルチャーの経営に比べてより幅広く柔軟なアイデアを取り込み、経営に活かしていくことができるという積極的な意味合いがあります。ところが、翻って日本企業を眺めてみると、昔ながらの島国根性でどうも多様性のマネジメントが下手だ、これではグローバルに通用しない、これからは「ダイバーシティ」で「クロスカルチュラル」が大切だ、という話です。

 これには一理あります。多様性が企業を強くする面はありますし、相対的に日本企業がモノカルチャーで、ヨーロッパやアメリカの企業と比べれば「ダイバーシティ」「クロスカルチュラル」が下手なのも確かでしょう。

 いうまでもなく、この背後には歴史的、地勢的な要因が横たわっています。ヨーロッパは多くの場合異なる国や文化圏が地続きなので、デフォルトからして「ダイバーシティ」で「クロスカルチュラル」という事情があります。ローマ帝国の歴史に典型的にみられるように、ヨーロッパのシステムはごく日常の問題として多様性のマネジメントに連綿と取り組んできました。帝国主義の時代になるとヨーロッパのいくつかの国は極端な形で多様性を取り込むことになり、それをうまく経営しなければならないという課題に直面してきました。たとえばイギリスは日本と同じ島国ですが、多様性のマネジメントはお家芸のようなものです。

 アメリカはこれとは逆のプロセスですが、いろいろな国から人が集まってくるので、ほっておけばその内部の多様性が増大していくという成り立ちになっています。アメリカにしても「ダイバーシティ」や「クロスカルチュラル」は企業活動のグローバル化のはるか以前からごく日常の問題であり続けました。