─エキシビションに向けて、結構練習されたのですか。
 そうですね、グラフ、ナブラチロワという相手が相手だったので、私だけついていけないというのは失礼かなと思いまして。

 できるだけの準備はしようと思って、8カ月くらいトレーニングをしてエキシビションに挑みました。そうすると漠然と楽しいな、と。このままもうちょっとやりたいな、と思うようになり。

─エキシビションから復帰までの期間は約1カ月と短かったですよね。
 以前にエキシビション出場を予定していた時、事前の公式戦でアキレス腱を切り、出場できなかった経験があるので、まずはエキシビションを無事にやり遂げないといけないと思ってました。

 お客さんが入った緊張感のある中でプレーすることで、自分の身体でついていけない部分があるかもしれないという不安があったので、無事にエキシビションをやり終えられたら、という気持ちはありましたね。

─復帰した時点で37歳。ファーストキャリアを継続してたら。
 ここまでやってきてはいないですね。

─迷いはなかったのですか。
 いろいろ不安はありました。過去にトップ4まで行った実績で見られることも認識してましたし、そこからのギャップがあることもわかってました。

 それで「それをやってしまっていいのか」「自分はよくても、それを受け入れてもらえるのか」など、いろいろ考えたのですが、チャレンジすることが好きだし、自分の中でそこに区切りをつけられるという確信を持てるようになったので決断しました。

─セカンドキャリアをスタートする時点で目標はあったのですか。
 全日本選手権に出るということしか考えてなかったです。試合勘を取り戻すために、岐阜の国際大会などに出場しました。

 そういったものの積み重ねの結果、全日本選手権に出場できればと思ってました。出場した時も、よくてベスト8かな、と思ってたのですが、結果はシングルス、ダブルス、ともに優勝。

 気がつけば、ランキングも翌年の全豪オープンの予選に出場できる位置にまできてました。それで行かない理由もないので、出場し、そこから世界の大会にも出て行くようになったのです。それが9年続くとは思ってもなかったですね。

─セカンドキャリアの方が長くなりましたね。
 そうですね。自分の身体と心の声を聞きながらやっていったって感じですね。若い時はランキングにこだわって勝つことに必死だったのですけど、セカンドキャリアでは勝つことだけが自分の目的ではなかったので、いろんな変化がある中でチャレンジしていくということにずっとこだわり続けていました。

 衰えてくる身体、リカバリーがきかない身体。もちろん、現在のパワーテニスに自分がどう順応するかということも含めて、それに対してチャレンジすること。

 常にいろんなことが起きるので、そのチャレンジが楽しかったですね。走り続けた9年半でしたが、そんな中でトップ50を経験できたので、上出来だったのではないかなと思います。