矛盾に思える生活保護基準の引き下げはどうやって決まるのか?今国会では、子どもの未来を応援しながら脚を引っ張るという、矛盾した生活保護基準の引き下げ議論が行われかねない。そもそも生活保護基準はどのように決まるのか(写真はイメージです)

子どもを応援しながら脚を引っ張る?
生活保護基準見直しの不思議なプロセス

 最初に、朗報を紹介したい。

 本連載の1月19日公開記事「生活保護減額の福島市に違法判決、原告母子が明かす悲壮な思い」において、生活保護世帯の高校生が努力によって獲得した給付型奨学金を収入認定(召し上げ)した福島市の対応について、福島地裁が訴訟の判決で「違法」と断じたことを紹介した。控訴期限は1月30日であったが、福島市は控訴せず、確定判決となった。

 なお今後、福島市は判決に従って、原告の母子に対し、精神的苦痛に対する賠償金10万円を支払うはずだ。しかし判決において「訴訟費用の90%は原告の負担」とされており、賠償金はほぼ訴訟費用に充当されるものと考えられる。1月19日の記事では、この賠償金を収入認定されるものとしてレポートしたが、正確には「収入認定はされないが、訴訟費用を差し引くと母子の手元にほとんど残らない」である。

 まずは、学生生活を翻弄された高校生とその母親の今後の平穏と多幸を祈りたい。さらに、高校生の「自分が経験したような出来事が、誰にも二度と起こらないように」「すべての子どもに平等な教育の機会を」という希望が、日本のあらゆる地域で叶うことを願いたい。しかし一方で、現在開催中の国会では気がかりな事態が進行中だ。

 今回の国会での生活保護問題の焦点は、政府予算案に盛り込まれた生活保護基準の見直しと、生活保護法の再改正案だ。今回の生活保護基準「見直し」は、ほぼ「引き下げ」であり、引き下げ幅が特に大きいのは子どものいる世帯だ。5年ごとの「見直し」は、前回は2013年であったが、そのときも子どものいる世帯を重点ターゲットにしたかのような引き下げが行われており、引き下げ幅は最大10%であった。もしも本年、予算案に盛り込まれた引き下げが実現したら、日本の「子どもの貧困」は解消せず、逆に悪化するだろう。

「引き下げを止めるべき」、あるいは「引き下げるべき」と考える前に、まず生活保護基準の決まり方を見つめ直そう。「急がば回れ」だ。

 生活保護基準部会の委員たちは、「子どものいる世帯に対しては、引き下げが適切である」と取れる発言はしていない。2017年12月に公開された報告書のどこにも、そのような文言はない。それだけではなく、生活保護世帯を含む低所得世帯に対する「相対的剥奪」、すなわち、その社会の「当たり前」が得られないことの影響が問題にされている。