橘玲の世界投資見聞録 2018年2月15日

「西部開拓」の名の下、インディアンへの民族浄化を行なった
アメリカ創世記の負の歴史
[橘玲の世界投資見聞録]

オバマは「黒人大統領」だがケビン・コスナーは「インディアン俳優」と呼ばれない

 アメリカ社会における黒人とインディアンのちがいは、「人種」の定義をみれば明らかだ。

 よく知られているように、アメリカでは、黒人の血がすこしでも入っていれば人種的に「黒人」になる。これは「一滴ルール(ハイポデセント)」と呼ばれる。それに対して先祖にインディアンがいる場合は、一般に「白人」の人種カテゴリーに入れられる(ハイパーデセント)。

 アカデミー賞を受賞した『ダンス・ウィズ・ウルブズ』(1990)でインディアンと暮らす元北軍中尉を演じたケビン・コスナーはチェロキーの血をひいており、映画『メリーは首ったけ』が大ヒットしたキャメロン・ディアスも母親にチェロキーの祖先がいるが、「インディアン俳優」と呼ばれることはない。それに対してバラク・オバマは黒人(ケニア人)の父と白人の母のあいだに生まれた「黒人大統領」で、タイガー・ウッズは黒人の父と中国系タイ人の母のあいだに生まれた「黒人ゴルファー」だ。

 ちなみに『ダンス・ウィズ・ウルブズ』もフィクションではなく、アメリカの歴史において、「腐敗した」文明を離れインディアンのスピリチュアルな暮らしを選んだ白人はたくさんいる。

 そのなかでもっとも有名なのが、テキサス州の州都にその名がつけられたサミュエル・ヒューストンだ。1793年にヴァージニアで生まれたヒューストンは、父の死後、13歳のときに寡婦の母と8人の兄弟とともにテネシーの山地に移住したものの、農耕生活に馴染めずに家から逃げ出し、3年間チェロキー・インディアンと共に暮らしたとされる。インディアンはヒューストンを養子にして、“コロネ(鳥)”という名前を与えた。

 1812年の米英戦争(第二次独立戦争)でヒューストンは、のちに第7代大統領となるアンドリュー・ジャクソンの指揮下で戦い、その指導を受けて法律を学んだあと、合衆国議会の下院議員を経て1827年にテネシー州知事に選ばれた。だがその後、19歳の花嫁イライザ・アレンとの結婚生活がわずか11週間で謎の破局を迎えたことで再選を前に知事を辞任し、テネシーを逃れてインディアン・テリトリーに向かった。そこでふたたびチェロキー族と暮らし、「亡命生活」を送ったのだ。ヒューストンは手記で当時のことを、「冷酷で策謀の渦巻く、悪徳に満ちた文明社会に再び別れを告げ、聖なる魂の子供らのあいだで暮らす道」を選んだと回想している。

 1835年のテキサス独立戦争では、ヒューストンはテキサス軍を率いてメキシコと戦い、その武勲によってテキサス共和国の初代大統領に選出された。彼はいまでいう「多文化主義者」ではなく、インディアンに対する白人の優越を当然としていたが、同時に、インディアンに共感を抱き、自分を育ててくれたチェロキー族の伝統にも敬意を抱いていた。こうした寛容さがのちに伝説化され、アメリカの歴史が書き直されるごとにその評価は高まっている。

 テキサスが独立した翌1836年5月19日、「共和国」の辺境にあるパーカー家の砦がコマンチ族に襲われ、男たちが殺され、9歳の少女シンシア・アンら5人が連れ去られた。その悲劇を知ったジェームズ・パーカーは、姪たちを奪還するために「捜索者」となる。これが映画『捜索者』の背景となった史実だが、ここでテキサス大統領サミュエル・ヒューストンと「捜索者」ジェームズ・パーカーの人生は交錯する。

インディアンのマリア(サンタフェ) (Photo:cAlt Invest Com) 

 

インディアンに育てられた子どもはインディアンになった

 メキシコから独立したばかりのテキサス共和国は領土こそ広大だが、人口からすると日本でいう市よりも郡に近く、大統領はさまざまなトラブルに対処しなければならなかった。開拓者の砦がコマンチに襲われ5人が拉致されたというのは当時は大事件で、ジェームズ・パーカーは大統領のサミュエル・ヒューストンに軍隊を派遣するよう要請した。

 しかしヒューストンは、事件については哀悼の意を表したものの、身内を救出するためにインディアンを討伐すべきだというパーカーには終始冷淡だった。大統領の職責にある者として、優先すべきはインディアンがメキシコ軍と手を組むのを防ぐことであり、贈り物攻勢で友好的なインディアンの懐柔に努め、彼らの領土を侵害しないと約束していたからだ。それと同時にヒューストンは、ジェームズのことを「インディアンに対して不条理な憎悪を燃やしている男」と見なしていた。

 テキサス大統領のヒューストンから支援を断られたことで、パーカーは独力で姪たちを奪還しようと決意した。こうして『捜索者』の物語が始まるのだが、史実ではパーカーは姪の捜索に10年を費やしたのち、あきらめたようだ。シンシア・アンが拉致されたのが9歳だから、19歳になればもはや白人社会に戻るのは無理だと考えたのだろう。

 映画『捜索者』では、ジョン・ウェイン扮するイーサンは、姪のデビー(ナタリー・ウッド)が拉致されたまま大人の女になったことで、彼女を見つけたら殺そうと考える。インディアンに育てられた子どもはインディアンになってしまうからだ。だが映画の最後で、コマンチの部落を急襲してデビーを見つけたイーサンは、姪を殺すのを思いとどまり開拓者の村に連れて帰ることにする。デビーは子ども時代を覚えており、皆が抱き合って再会を喜ぶなか、亡き兄と兄嫁への責務を果たしたイーサンは一人荒野へと戻っていくのだ……。これが映画のストーリーだが、史実とはかなり異なる。

 ジェームズ・パーカーが「捜索」をあきらめて15年後、すなわち拉致から25年後の1861年に、コマンチの部落を襲ったテキサス・レンジャーズがバッファローの長衣をまとった女を見つけた。兵士が撃とうすると、女は「アメリカーノ」と叫んだ。その女は青い目をしていて、懐に幼い女の子を抱いていた。訊問に対して女は、自分は拉致された白人で、娘のほかに2人の息子がいると答えた。シンシア・アンは34歳になっていた。

 インディアンに拉致された少女が奇跡的に発見されたことは、当然のことながら大きなニュースになった。だがその後のシンシア・アンの人生については、たしかなことはあまりわからない。

 当時の虜囚物語では、野蛮人(インディアン)に囚われた白人女性は、キリスト教の信仰と道徳心を守って文明社会に帰還することになっていた。シンシア・アンについての記録が徐々になくなっていくのは、ひとびとが求めるこの物語に彼女が応えることができなかったからだ。

 あるとき、数カ月ほどコマンチの捕虜になり片言を話せる白人男性がシンシア・アンとの会食の場に招待された。彼がたまたま頭に浮かんだコマンチの言葉を口にした瞬間、シンシアは歓声をあげて飛び上がり、はずみでテーブルに乗った皿がぜんぶ落ちてしまうほど興奮した。

 そのあとシンシアは男の腕をつかんで、コマンチの言葉とスペイン語で哀願した。彼女は、「2人の息子のことを思って、わたしは泣き暮らしているの」と訴えた。コマンチから救出されたシンシア・アンが望んでいたのは、子どもたちのいるコマンチの村に戻ることだったのだ。

 こうして、文明世界を拒絶したままシンシア・アンは愛娘とともに病死することになる。その時期については、「救出」から2年後の1863年に天然痘かインフルエンザにかかったというものから、娘の死により失意の日々を過ごし1871年に死亡したというものまで諸説ある。

 映画『捜索者』で主人公のイーサンは、姪のデビーを「すでにインディアンになってしまった」と突き放す。シンシア・アンの悲劇を見るならば彼の言葉は正しく、映画の最後では、デビーを殺すのを思いとどまったイーサンは、家族のいるインディアンの村に彼女を帰してやるべきだったのかもしれない。

『捜索者』のジョン・ウェイン(ワーナー・ブラザーズ)

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橘 玲(Tachibana Akira) 作家。1959年生まれ。早稲田大学卒業。「海外投資を楽しむ会」創設メンバーのひとり。著書に『お金持ちになれる黄金の羽根の拾い方』『(日本人)』(幻冬舎)、『臆病者のための株入門』『亜玖夢博士の経済入門』(文藝春秋)、『黄金の扉を開ける賢者の海外投資術』(ダイヤモンド社)など。
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