先日、日本将棋連盟会長の米長邦雄さんがコンピュータと将棋の対局をして負けたというニュースがありました。そのコンピュータは1秒間に何百万手も読むそうです。米長さんは負けたわけですが、その後のコメントが素晴らしい。「将棋は人間と勝負をするもの。人間相手に勝つのがプロの仕事。コンピュータ相手に勝つ研究をしても意味はない」というわけで、もっともな話です。

 この話の本質は、今も昔もこれからも、人間の脳の処理能力には一定の限界があるということです。コンピュータの処理能力はどんどん進歩しますが、将棋を指す人間の脳のキャパシティは変わりません。その制約のもとでどうやってパフォーマンスを向上させるか。これが問題なのです。私たちは大量の情報が氾濫する時代を生きていますが、情報というのは、そこにあるだけではただの情報でしかなく、人間がアタマを使って情報に関わってはじめて意味を持つものです。

 人間と情報をつなぐ結節点となるのが「注意」(attention)です。人間が情報に対してなんらかの注意をもつからこそ、情報がアタマにインプットされ、脳の活動を経て、意味のあるアウトプット(仕事の成果)へと変換されます。組織論の分野で活躍し、ノーベル経済学賞を受賞したハーバート・サイモンは、「情報の豊かさは注意の貧困をもたらす」という名言を残しています。「情報」が増えれば増えるほど、一つひとつの情報に向けられる「注意」は減るわけです。

 情報の流通はITの発達を受けて指数関数的に増大します。それとパラレルに人間のアタマの処理能力が増大すれば話は単純で、ITの進歩がそのまま知的アウトプットの増大をもたらします。ところが実際はまったくそうなっていない。人間のアタマのキャパシティが変わらないからです。これからも当分の間(少なめに見積もって3万年ぐらい?)、脳のキャパシティが飛躍的に増大するということはなさそうです。人間のアタマに限界がある限り、入手可能な情報が増えれば、一つの情報あたりに振り向けられる注意が減少するというトレードオフに突き当たります。至極当たり前の話です。