連載の第3回目も、現場の社員のインタビューをお送りする。今回登場するのは岡山空港で整備責任者を務める猿楽浩治。猿楽は1982年に東亜国内航空、のちの日本エアシステム(JAS)に入社。その後2002年にJASが日本航空と経営統合し、現在のJALの社員となった。

正直、破綻するとは
思ってもいなかった

――整備は何と言っても、安全運航の要の役を担う。整備一筋約30年のベテラン整備士は、JALが破綻(2010年1月19日)したとき、何を思ったのか。

猿楽 正直な話、破綻するとは思ってもいませんでした。しかし、破綻した以上、なぜこうなったのだろうということを、日々考えさせられ、よく自問自答しました。そんな2年間でした。

【その3】整備士・猿楽浩治の場合<br /> 「整備士であっても、まずお客様のことを<br />考えるようになった 」大西賢会長に現場の状況を説明する猿楽浩治氏(右)。大西会長も整備畑の出身だけに話も弾む。
Photo by Isao Murokawa

 破綻してから再建に向けて、一人の整備士として、安全堅持の他に何が出来るかということを自らに問うてみると、やはり採算性を向上させることだと気づきました。整備士というのは飛行機を整備して、ただ飛ばしていればいいのではない。会社の経営のことも意識して、安全を守りながら経費を最小にするにはどうやったらいいか、ということを考えるようになりました。