つまり、安倍政権は、森友学園問題について「安倍首相夫妻がまったく与り知らぬことで、財務省が勝手に忖度してやったこと」という形で、財務省にすべての罪を押し付けて終息させることができたはずだった。野党側からしても、いつまでも安倍首相夫妻の関与に拘って追及を続けても、存在しないことを証明させる「悪魔の証明」になってしまう。それは国民に見透かされていて、野党への支持が上がらない。むしろ、「いったいいつまで続けるのか」というウンザリした気分が国民に広がっている。

 だからこそ、「財務省をスケープゴートにすること」を、安倍政権と野党の双方が大きなダメージを負わず、それぞれの支持層からも一定の納得を得られる「落としどころ」にすべきだったのだ。

 それにしても、なぜ安倍政権は「国有地売却は適正」だと言い張り続けたのかと思う。昨年2月の国会での「私や妻が関係していたということになれば、首相も国会議員も辞める」という首相答弁に縛られたのかもしれない。首相の「左翼嫌い」が仇になったのかもしれない。左翼色が強い野党や「朝日新聞」に対して、自らの誤りを絶対に認めたくないという感情から頑なになったのかもしれない。あるいは、「安倍一強」の驕りから、野党を甘く見たのかもしれない。官僚は絶対に間違いを犯さないという「官僚の無謬性神話」がいまだに生きる財務省が、絶対に間違いを認めたくなくて、首相官邸に嘘をつき続けたのかもしれない。

 いずれにせよ、ここまで頑なに「何も問題はない」「適正だ」と言い続ける必要はなく、多少傷を負っても、致命傷に至らないように、もう少し柔軟な対応はできなかったものかと思う。だが、時すでに遅しだ。事態は、安倍政権も野党もまったく先が見えない無間地獄に入ってしまったようだ。

「最強の官庁」財務省vs政治
「予算編成権」を巡る攻防を振り返る

 さて、森友学園問題そのものから少し外れて、その背景にある、大きな問題を考えてみたい。この連載では、「アベノミクスに物わかりがいい財務省などいらない」と主張し、安倍政権に財務省が抑え込まれているように見える状況に警鐘を鳴らしてきた(第121回)。今回の問題は、その懸念が現実のものになったように感じている。

 そもそも「最強の官庁」と呼ばれ続けてきた財務省が、なぜ安倍首相に「忖度」しなければならなかったのか。もし、省内の意思決定に安倍首相夫妻が関与したというなら、そんなことがなぜ可能だったのだろうか。スキャンダル報道に追われるだけでなく、日本政治の本質的な問題を考えねばならない。