今週前半は久しぶりの東京です。いつもどおりにバタバタと5日間を過ごすことになりましたが、寒さも和らぎ、春らしい天気を日本で感じられてうれしい限りです。

 3月10日の土曜日は、長野県上田市にあるプログラミング必修の通信制高校、コードアカデミー高等学校(http://code.ac.jp/)の第2回目となる卒業式がありました。今年は15人の生徒が卒業し、大学への進学や就職など、それぞれの進路へと巣立っていきます。

 プログラミング必修で思い切りネットやパソコン、スマホについて学んで良いという環境は、当初、好きなものを肯定する数少ない学びの場としての役割を作ることを重視してきましたが、彼らの学びは結果的に進学や就職の場での競争力となり得る「個性」や「得意なこと」を育むことになりました。

 在校生に加えて、また4月から新入生も入ってきます。ますます良い学校になっていくことを祈りつつ、引き続きサポートしていきたいと思っています。

ディスプレイだらけの移動時間

 さて、東京に戻ってきていくつか気づくことがあります。今回特に意識したことは、とにかく街中から公共空間まで、ディスプレイだらけになっていたということです。

 例えば、都内のJRや地下鉄、私鉄の電車には、ドアの上にディスプレイが2枚設置されていて、片方は広告、もう片方は運行情報や路線図などが掲出される方式が一般的です。加えて、山手線の車両では、網棚の上にもディスプレイが用意されて電子化されていますね。

JR東日本、新型通勤車両E235系先行車両の概要を発表2
山手線の新型車両であるE235系では、車内の側面上部がびっしりとディスプレーで埋まっています。当初は中吊り広告を無くす計画もあったようですが、結局は残されました

 中吊り広告はまだ紙でかろうじて残っていますが、それ以外の多くの部分はディスプレイ広告が増え続けています。駅で電車を待っているときも、一部の電車では正面にある広告がやはりディスプレイ表示になっていました。

 こうして次々にディスプレイ広告が増えていくと、だんだんローカルの広告出稿が減ってしまうのではないか、と思ったりします。中吊りはどちらかというとナショナルブランドや雑誌などのメディアの広告が中心ですが、網棚の上の広告はローカルビジネスの広告や学校などの広告が多かったように記憶しています。

 ディスプレイ化が進んでよりコストがかけられる大きなビジネスの広告が増えていくことは、鉄道会社にとっては増収となり得るためプラスかもしれませんが、ローカル広告を楽しみにしていた筆者からすると、若干残念な気持ちにもなります。

パブリックとプライベート

 この概念も街中や公共空間にディスプレイが増えたから生まれたことだと思いますが、電車の中でみんなに向けて解放されているのはパブリックのディスプレイで、現在増え続けています。

 一方で、手元にあるケータイやスマホ、タブレットのディスプレイはプライベートのディスプレイ。すでに電車の中を見上げても、手元に視線を下げても、種類は違うながらディスプレイを見ることには変わりないわけです。

 この風景は、サンフランシスコの通勤鉄道となっているBARTの電車内とは全く異なります。BARTの社内では、プライベートのディスプレイしかありません。そのため、多くの人は視線を上げることなく自分のディスプレイを見続けています。

 パブリックのディスプレイがあった方が、視線が変化するし、顔を上げて周りの状況に留意しやすくなる点は、自分も含めた行動の変化が認められるのではないかと思います。

 一方で、パブリックのディスプレイで広告を見せられているのに、手元でアクセスしているニュースやゲームでも別の種類の広告を見せられていて、特にプライベートの画面でも広告を見せられている点には違和感が生じます。

 もちろんパブリックとプライベートのディスプレイが連動していないことが原因ではありますが、連動にはパブリックのディスプレイが乗っている個人、あるいはその属性などの情報を認識する必要があり、利用者にとってはあまり良い気分はしません。

 加えて日本ほど鉄道の社内での密度が高い場合、「誰」に向けた広告をその場で用意すれば良いのかを選ぶことも難しくなります。パブリックのディスプレイでのプロファイリングは、あまり現実的ではないのかな、という印象です。

パブリック→プライベートの強化?

 ケータイの時代から、駅や電車内の広告にはQRコードが印刷されていました。これを読み取ると、手元のデバイスで情報を表示したり、会員登録やアプリのダウンロードへと誘導することができるからです。パブリックからプライベートへと、ディスプレイ間で情報を移す手段と言えます。

 この方法はもちろん現在も有効ですが、ディスプレイ広告の場合、若干ユーザビリティに問題が生じます。QRコードが表示されても、その画面が常に表示されているわけではないため、カメラを起動して構えるまでに画面が変わってしまうためです。

 しばらく電車に乗っている人は次のサイクルのチャンスを狙うことができますが、すぐに降りる人はせっかく興味を持ってもQRコードを待てずに降りることになってしまいます。この場合表示が変わらない紙の広告の方が、車内広告からプライベートの画面への誘導は相性が良さそうです。

 ただ、混んでいる電車内でカメラを起動する勇気があるか、という問題もあるわけで、もう少し別の方法の報が現実的ではあります。短い文字列のURLを用意したり、アプリストアなどで見つけられる検索キーワードを与えた方が利用しやすいとなれば、必ずしも紙の広告でなくても良くなりますね。

AR+パブリック

 ケータイの時代、もしプロジェクターが手元のデバイスに入ったらどうなるか、というアイディアを考えたことがありました。用意されている情報だけでなく、自分が手元のデバイスから映し出す機会が増えるなら、街中に白い壁が増えていくんじゃないか、という話です。

 残念ながらスマートフォンに積極的にプロジェクターが内蔵される流れにはなっていません。依然としてデバイスのサイズや消費電力の問題が大きいですね。しかし別の手段、つまり拡張現実(AR)で同じような手段が考え出されることになりそうです。

 ARの場合、必ずしも白い壁である必要もなくなりますし、プロジェクターで映し出す場合と違って、周囲の明るさも関係ありません。そしてなにより、他の人からは自分が何を投影してみているのか知られる心配がなく、パブリックな空間にプライベートなディスプレイを作り出すような状況が生まれます。

 こうして、パブリックなディスプレイスペースをプライベートにカスタマイズする方法自体は生み出されました。あとは、街中で、あるいは電車の中で、カメラを起動してかざし続けることが許容されるかどうか。

 こうしたアイディアは、やはりサンフランシスコよりも東京にいる方が思考が進みます。それだけ人の密度が高く、さまざまな人がいて、公共空間の使い方に多様性が求められているということだと思います。

 日本ではインフラが充実しているので、米国におけるUberのような、不足したインフラを補い、社会にインパクトを与えるようなアプリのアイディアは生まれにくいかもしれませんが、より未来のことを考えるには適した街が東京だと思うのです。


matsu

筆者紹介――松村太郎

 1980年生まれ。ジャーナリスト・著者。慶應義塾大学SFC研究所上席所員(訪問)。またビジネス・ブレークスルー大学で教鞭を執る。米国カリフォルニア州バークレーに拠点を移し、モバイル・ソーシャルのテクノロジーとライフスタイルについて取材活動をする傍ら、キャスタリア株式会社で、「ソーシャルラーニング」のプラットフォーム開発を行なっている。

公式ブログ TAROSITE.NET
Twitterアカウント @taromatsumura