癌の治療に「サルのこしかけ」

 仮に現代の医学上、根本的な治療法が解明されていないある病気があったとする。世界各国の医学関係者は、ノーベル賞受賞者レベルを含め、長年にわたってその治療を試みてきたが、完全な治療法まではみつかっていないような状況を仮定しよう。

 今日、癌の治療は相当に進歩したが、完全な治療法が解明されていない状況にも類似する。そこで、医師が患者に対し、「あなたは今日の医学では治療は困難である」として「医学上の難しさ」をとうとうと説明したら、患者はどう思うだろうか。

 その医師は、何もやってこなかったわけではない。むしろ、これまで誠実に様々な処方を行ない、相応の効果が現れていた面もあったし、世界のなかで初めて例のない難病に取り組み、しかも前例もないなか他国に先駆けて新たな治療法も試みてきた。

 しかし、患者はこの先生に対し、「先生、あなたは専門家でしょ、なんとかしてくださいよ」と迫り、「これこれの治療法が海外にはあると聞いたけれど(たとえば、癌に対する「さるのこしかけ」などの民間療法)、その処方をしてくれないのですか」と、医師に対して不満を公然と言い出す状況になった。

 以上のたとえ話は、筆者がこれまでよく、日銀の金融政策をめぐる状況を説明するときに使ってきたものである。筆者は基本的な認識として、大規模なバランスシート調整が生じた状況に対する完全な処方箋は、現代の経済学でもいまだ見つかっていないと考えてきた。

 たとえ、ノーベル経済学賞を受賞する学者でも、今日欧米を中心としてグローバルに生じたバランスシート調整への処方箋を示してはいない。

「言い訳」に見えてしまった
これまでの日銀の姿勢

 ただし、そこに課題があるとすれば、冒頭に示したたとえ話での、「患者とのコミュニケーション」である。「医師」は「患者」のメンタル面からの治癒力を高めることも重要であり、最近、医学会でもその重要性が認識されているように、金融政策でも、「医師の姿勢」を示しつつ、患者の期待を高めることも必要だ。