個人データは丸裸に近い

 筆者は、前記4社のサービスの全てを使っているが、仮に、各社が持つ筆者に関連する情報を利用して、筆者を分析・追跡しようとした場合を想像すると、交友関係、趣味・嗜好、思想(と呼ぶほどのものでもないが)、政治的ポジションなどを、相当に詳しく知ることができると思う。

 例えば、フェイスブックを単独で考えるとして、筆者はフェイスブックのタイムラインに自分の行動をほとんど書き込まないが、フェイスブック社は「友達」の書き込みを通じて筆者の行動の多くを知ることができるだろうし、メッセンジャーのやり取りまで利用するなら、相当に細かなことまで分かりそうだ。

 さらに、仮に、フェイスブックが持つ筆者個人に関するデータと、グーグルが持つデータを合わせて筆者個人を分析することができるとすると、筆者個人に関する諸々について、筆者本人以上の事実を知ることができるのではないかと想像できる。

 もちろん、どちらの会社もそのようなことをしないから大丈夫だろうと筆者は思っている。しかし、筆者は、両社の利用規約を詳細に確認していないし、法的に何がそうした利用を制限しているのかを知らないし、仮に規約や法律が機能しているとしてもデータが不当に流出して悪用されるリスクについてほとんど知らない。「大丈夫だ」という感覚は、自分勝手な思い込みに過ぎない。手垢の付いた言葉で言うと、筆者の「自己責任」だ。

 筆者が持つ勝手な安心感の根拠は、例えば、グーグルやフェイスブックのようなサービスに自分のデータをさらしても、何億人ものユーザーの中から、特別富裕でも政治的に重要でもない自分を、手間を掛けてまで調べて、その結果を何らかの形で利用するインセンティブをグーグルやフェイスブックは持たないはずだという、自分は群衆の中の「取るに足らない」1ユーザーにすぎないという経済的推測だ。

 これ自体は、現時点で大きく間違っていないと思うのだが、問題が二つ出てきた。