今回は、ダニエル・W・ドレズナーの『思想的リーダーが世論を動かす』を紹介したい。原著のタイトルは“The Ideas Industry”(「思想産業」あるいは「言論産業」)で、「ペシミスト、党派主義者、超富裕層は言論の自由市場をどのように変容させているのか?」の副題がついている。
著者のドレズナーは1968年生まれの49歳。タフツ大学国際政治学教授で、ワシントンポストの常連寄稿者でもある。政治的立場は「保守」だが反トランプで、2017年10月に共和党員を脱退している。
そんなドレズナーがアメリカの言論市場を内側から観察・批評した本書は、私たちにとっても興味深い。なぜならほぼ同じ事態が日本でも起きているからだ。
思想的リーダーは、独自の思想によって社会に影響を与え動かしていく人
本論に入る前に、いくつかの用語を説明しておこう。
監修者である佐々木俊尚氏が解説で指摘しているように、本書のキーワードは「知識人」と「思想的リーダー」だ。
知識人Public Intellectualsは「公共政策関連のさまざまな論点について意見を述べられるだけの知識や経験を備えた専門家」と定義され、一部にシンクタンクの研究員がいるもののその多くは大学の教員だ。
それに対して思想的リーダーThought Leaderは「知的伝道者Intellectual Evangelist」で、「思想的リーダーが持っているのは一つの大きな思想だけだが、その思想が世界を変えると信じている」とされる。これは著者の造語ではなく、ニューヨーク・タイムズのコラムニスト、デビッド・ブルックスからは「野心を持った、船から船へと品物を売り歩くやり手の行商人」と揶揄されている。彼らは象牙の塔にこもって専門家しか読まない論文を書くのではなく、アカデミズムの周縁や外側で活動し、自らの思想を言論市場に投じる「ビジネスパーソン」でもある。
Thought Leaderはビジネス用語として登場し、日本語では「オピニオンリーダー」の訳があてられることもあるが、これではOpinion Leaderとのちがいがわからなくなる。Thought Leaderには、たんなるオピニオン(意見)ではなく、独自の思想によって社会に影響を与え、動かしていくという含意があるのだろう。
ドレズナーによれば、現代のアメリカでは思想的リーダーが知識人を圧倒するようになった。その結果、言論の自由市場The Marketplace of Ideasはビジネス化し、“The Ideas Industry”というひとつの産業になったのだ。
思想的リーダーは在野の言論人だけでなく、大学の教員であることもある。著者の専門である国際政治の世界では、『歴史の終わり』のフランシス・フクヤマや『文明の衝突』のサミュエル・ハンチントンが思想的リーダーの典型で、経済学では『貧困の終焉』のジェフリー・サックスが取り上げられている。
彼らに共通するのは、既存の知識を上書きするのではなく、それが正しいかどうかは別として新たなパラダイムを提示し、大きな社会的影響力をもったことだ。フクヤマとハンチントンは学問の領域にとどまっているが、サックスは「行動する経済学者」として国連の「ミレニアム・ヴィレッジ・プロジェクト(MVP)」を率い、開発援助によって貧困をなくせることを証明しようとした(そしてこの野心的な試みに失敗した)。
このように考えると、「思想的リーダー」がどのような存在なのかがわかる。20世紀を振り返れば、レーニンや毛沢東のような巨大な影響力をもつ思想的リーダーが登場した。「レーニン思想」や「毛沢東思想」という言葉からわかるように、彼らはマルクス主義をベースに独自の思想を展開し、権力を奪取することで自らの理想(ユートピア)を実現しようとした。――異論はあるかもしれないが、ここにヒトラーやポルポトの名を加えることもできるだろう。
世界(パラダイム)を変えるのが「思想」だとすれば、いつの時代にも「思想的リーダー」はいたし、20世紀の大物たちに比べれば現在はずいぶんと小粒化しているということもできるだろう。「思想的リーダー」という新たな人種が誕生したわけではなく、公共圏Public Sphereの変容によって、従来の知識人と思想的リーダーの関係が変わってきたのだ。
こうした変化の背景にあるのが、「権威の信用低下」「アメリカの政治的二極化」「経済格差の拡大」だ。
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