今回は、ネイトー・トンプソンの『文化戦争 やわらかいプロパガンダがあなたを支配する』を紹介したい。
本書の原題は“Culture as Weapon The Art of Influence in Everyday Life”で、『武器しての文化 日常に潜む影響力のアート』になる。著者のトンプソンは、「ニューヨークでもっとも刺激的かつ著名な芸術家集団「クリエイティブ・タイム」のチーフ・キュレーター」で、現代アートの最先端にいるひとだ。本書の面白さは、そんなトンプソンが現場の視点から、反権力のはずのアートが権力(政治や資本主義)に奉仕する現状をシニカルに分析していることにある。
アートの世界における「文化戦争」はNEA(全米芸術基金)への攻撃として表われた
日本語のタイトルに使われた「文化戦争Culture Wars」は、1981年のロナルド・レーガン大統領就任以降、とりわけ80年代後半に本格化した「文化」をめぐる右派と左派の衝突のことだ。これについては、トッド・ギトリン『アメリカの文化戦争―たそがれゆく共通の夢』が詳しい。
ギトリンは1943年生まれで、ハーヴァード・カレッジ在学中から反核運動に参加し、1962年2月にワシントンで行なわれた大規模な反核集会を主催した。63年と64年には日本の全共闘にあたるSDS(Students for a Democratic Society/民主社会学生同盟)の委員長(President)に就任、ベトナム戦争に反対する1965年4月の大集会(2万5000人が参加)を組織するなどNew Left(新左翼)の代表的な活動家となった。
その後はカリフォルニア大学バークレー校で社会学の学位を取得し、母校で長く社会学を講じた。骨の髄まで“サヨク”だったギトリンは、1995年に出版した『アメリカの文化戦争』(原題は“The Twilight of Common Dreams: Why America is Wracked by Culture Wars”『たそがれゆく共通の夢 アメリカはなぜ文化戦争で難破したか』)で、60年代に自分たちが思い描いた「共通の夢」が失われ、保守派との文化戦争に敗れつつある現状を諦念ととともに描いた。
文化戦争は「政治的な正しさPolitically Correctness」をめぐる価値観の衝突で、人種、性別、宗教などあらゆる差別・偏見を偏執狂的に糾弾する左派(リベラル)に対して、自分たちの文化(古きよきアメリカ)を否定されたと感じた右派(保守派)がレーガンを押し立てて反撃に転じたものだ。いうまでもなく、このときの共和党(保守)と民主党(リベラル)の対立が現在に至る「アメリカの(政治的)分裂」につながっている。
トンプソンによると、アートの世界における「文化戦争」はNEA(全米芸術基金)への攻撃として表われた。NEAは芸術活動を財政的に支援する連邦政府機関だが、助成対象となった現代芸術のなかには保守派を激怒させるものがあった。
ニューヨーク生まれの写真家アンドレス・セラーノは作品「ピス・クライスト」で、尿を満たした容器にキリストの十字架像を沈めた。シカゴ美術館に展示された24歳の美大生による「星条旗の適切な掲げ方は?」と題するアートは、燃やされている星条旗と、棺に掛けられた星条旗の写真を合成した作品の足元に、ほんものの星条旗が敷かれた。作品の下にノートが置かれているのだが、問い(星条旗の適切な掲げ方は?)の答えや作品への批判を書き込もうとすると星条旗を踏みつけなくてはならないのだ。
さらなる議論(というか憤激)を招いたのは、ワシントンDCのコーコラン美術館で行なわれたロバート・メイプルソープの回顧展だった。1989年にエイズで死去したゲイの写真家は、尻の部分がないチャップス(カウボーイの革パンツ)姿で自分の尻の穴にムチを突き刺し、それをつかんで振り返っていたのだ。
カロライナ選出の上院議員ジェシー・ヘルムズは、保守的なひとたちを激怒させるこうしたアートを煽情的に取り上げることで、「猥褻または下品な物品、あるいは特定の宗教を侮辱する物品の製造、販売促進、宣伝のために予算を使うことを禁止する」法律を議会に提出した。
「我々の神を冒涜する作品に(NEAを通じて)公金が投じられている」という保守派の攻撃はきわめて効果的で、美術館やキュレーターなどアート関係者は窮地に追い込まれた。――日本においても、中国人映画監督リ・インのドキュメンタリー『靖国 YASUKUNI』(2008年)に文化庁所管の独立行政法人・日本芸術文化振興会から助成金(750万円)が出ているとして政治問題化した。
だがアートが“武器”として使われるのは、保守派の標的としてだけではなかった。
2000年代以降「文化=芸術」が都市開発の中心に踊り出た
「女は結婚したら家で子育てする」性役割分業が当然とされていた1929年、ニューヨークで行なわれた復活祭のパレードで、(当時としては)肌も露わな女性たちが堂々とラッキーストライクに火をつけた。女性が人前で煙草を吸うことが社会的なタブーだった時代に、それに対する真っ向からの挑戦だった。
「自由の松明キャンペーン」と呼ばれたこの出来事はメディアでも大きく報じられ、「女性たちが煙草をふかして『自由』への意思表示」の見出しが『ニューヨーク・タイムズ』を飾り、『ユナイテッド・プレス』は「彼女たちの一服が、女性の自由を求める一撃となった」と書いた。
ところが、女性の権利獲得への大きな一歩とみなされたこのパフォーマンスは、ラッキーストライクを販売するアメリカンタバコの“やらせ”だった。女性たちに出演料を払ったのは“広報(PR)の父”エドワード・バーネイズで、喫煙する女性をメディアに大々的に取り上げさせることで、タバコの消費者を男性から女性に拡大しようとしたのだ。
アートは権力や消費主義に反抗しつつも、広告として企業の利益に貢献し、国家プロパガンダの有効な手法として大衆を動員してきた。ナチスを例にあげるまでもなくこのことはよく知られているが、トンプソンの指摘で興味深いのは、2000年代以降、「文化=芸術」が都市開発の中心に踊り出たことだ。“グル(導師)”となったのは都市社会学者リチャード・フロリダで、2002年の『クリエイティブ資本論―新たな経済階級の台頭』で「クリエイティブ・クラスが集まる魅力的な都市が発展する」と説いた。
クリエイティブ・クラスはグローバル化にともなって登場した新興の富裕層(ニューリッチ)で、知的労働者からアーティストやデザイナー、コンピュータプログラマー、エンジニア、科学者など“クリエイティブ”な仕事に従事するひとたちの総称だ。『ニューヨーク・タイムズ』のコラムニスト、デイビッド・ブルックスは、そんな彼らを「BOBOs」と名づけた。ブルジョアBourgeoisとボヘミアンBohemiansを合わせた造語で、「ボヘミアン的な生活を好むブルジョア」のことだ(『アメリカ新上流階級 ボボズ―ニューリッチたちの優雅な生き方』)。
フロリダは、シリコンバレーやサンフランシスコを筆頭に、ボールダー(コロラド)、オースティン(テキサス)、ポートランド(オレゴン)からニューヨークまで、急成長する都市には際立った特徴があることを示した。それは人種的な多様性があり、同性愛者などマイノリティに寛容で、一流大学とスターバックスがあり、そしてなによりも芸術・音楽活動が活発だった。クリエイティブ・クラスはこうした刺激的な都市に集まってくるのだ。――フロリダはこれを、「ヒップスター(新しがり屋)を惹きつければGoogleがついてくる」と表現した。
こうして全米で、さらには世界じゅうで(ベルリンのクロイツベルク地区など)「都市をブランド化する」競争が始まった。「ボヘミアン的なブルジョア」を惹きつけるには、美術館や音楽ホールだけでなくモダンアートのギャラリーやライブハウス、大規模な音楽フェスティバルや芸術イベントがなくてはならない。「神を冒涜する」との理由で表現の自由を否定していては、BOBOsは出て行ってしまう。アートこそが、熾烈な都市間競争を生き延びるキーワードになったのだ。
この大きな変化を、トンプソンはこう総括している。
「新たな経済階級と経済的な勢力としてのクリエイティビティの台頭こそが、新たな産業やビジネスの出現から、生き方や働き方の変化、さらには日常生活を構成しているリズムやパターン、欲求や期待の変化にいたるまでの、私たちがこれまで目の当たりにしてきた一見何の関係もない偶発的に見える時代の風潮の数々を推進する、根本的要因だった」
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