橘玲の日々刻々 2018年6月21日

"影響力"に重要なことは、技術よりも下準備だった
[橘玲の日々刻々]

説得には「特権的瞬間」を生み出すことが重要

『プリスエージョン』に新しく登場した概念が「特権的瞬間(モーメント)」だ。「相手の依頼を受け入れるほかに選択肢がなくなる特別な瞬間」のことで、「心理的滑り台」とも呼ばれる。顧客はいったんこの滑り台に乗せられてしまうと、滑り降りる以外になにもできなくなってしまう。

 ここで重要なのは、「何かの存在に気づくのは、その不在に気づくより簡単だ」という原理だ(これを専門用語で「肯定的検証方略」という)。

 カルト団体は勧誘の際、「いま満足していますか?」とは訊かない。「はい」とか「それなりに」といわれてしまえば、そこで会話が終わってしまうからだ。その代わりに、「どんな不満がありますか?」と訊く。なぜならこれによって、(そこそこ満足していた)相手の注意を「不満」に向けさせることができるからだ。

 心理学の調査で、自分の不満を探り出すような質問に刺激されたあとでは、人は自分が不満を抱えていると考えやすくなることがわかっている。そこですかさず「不満があるのなら、それを変えたいと思っていますよね」と畳み込み、相手を「心理的滑り台」に乗せるのだ。

 この手法はさまざまな応用が可能だ。人は無意識のうちに「一貫性」に束縛されているので、「あなたは人助けができるタイプですか?」と訊くと調査に協力してもらえる可能性が高まり、「あなたは冒険心のあるタイプですか?」と訊ねると馴染みのない商品を試させることができる。

 「存在に気づかせる」というのは、わかりやすくいえば相手の「注意」を引くことだ。

 脳は同時に2つのことを体験するのが苦手で、一度に1曲しか流れないCDプレイヤーと同じだ。――CDプレイヤーが2曲同時に再生しないのは技術的な問題ではなく、人間の認知に合わせているからだ。

 相手が注意を払うものはたくさんあるから、あなた以外のものに注意を向けていれば、聞いているふりをするだけで説得になんの効果もない。逆になんらかの方法で相手の注意を引きつけることができれば、あなたの言葉以外は聞こえなくなるのだから、説得はものすごく効果的になるはずだ。成功か失敗かは、セールスを始める前の、「注意」という稀少な資源の獲得競争で決まっているのだ。

 著名な心理療法家ミルトン・エリクソンはこのことをよく知っていたので、セラピーのとき、窓の前の丘を大型トラックが登りはじめるのを待った。そして騒音がいちばん大きくなったときに、患者に小さな声で話かけた。

 その理由を聞かれてエリクソンは、「こちらが重要だと思わせたい話をするときは、患者が話を聞こうと身を乗り出す姿勢を取るように段取りしているので、効果が出るのです」とこたえている。

 患者は身を乗り出すことで、無意識のうちにこれからの話が重要だと判断し、注意を集中する。これが「特権的瞬間」を生むのだ。

 

「重要だから注意を向けるのではなく、注意を向けたものが重要になる」

 行動経済学の父ダニエル・カーネマンは、「人生のどんな要素にも、あなたがそれについて考えている間に感じるほどの重要性はない」と述べた。これは「焦点錯覚(フォーカス・イリュージョン)」と呼ばれている。

 これをもっとかんたんにいうと、「重要だから注意を向けるのではなく、注意を向けたものが重要になる」ということだ(「議題設定仮説」という)。すなわち、なんらかの方法で注意が向くように誘導できれば、自動的に、相手はそれを重要なものだと考える。

 とはいえ、この方法が万能というわけではない。あるアイデアに注意を向かせる手法がうまくいくのは、そのアイデアにメリットがあるときだけだ。できの悪いアイデアに注意を向けさせたところで、説得力が増すどころか逆効果になる。賛成でも反対でも、ひとは何かを検討すればしただけ、それに対する意見は極端(偏向したもの)になるのだ。

 相手の注意を誘導する戦略として、チャルディーニは以下の2つを挙げている。

 ひとつが、他の選択肢を意識させないこと。

 キヤノン、ニコン、オリンパス、ペンタックスといった複数のカメラについて訊ねれば、相手の注意は分散されてしまう。キヤノンの品質についてだけ検討を求めるなら、相手は理由に気づかないまま、キヤノンのカメラを購入する意欲を高める。

 もうひとつは、決定のコストを下げさせること。

 複雑な選択は大きな知的リソースを必要とし、脳に苦痛を感じさせる。そこで脳は、この苦痛から逃れるために「こんなもん化(サティスファイシング)」を使う。これはノーベル経済学賞を受賞したハーバード・サイモンの造語で「満足させる(サティファイ)」と「足りる(サフィス)」を組み合わせたものだ。

 サイモンは、私たちが意思決定をするとき、「よい決定をすること」と「さっさと決定してしまうこと」の2つの目標を同時に達成しようとしていると考えた。最善の決定をするためには膨大な時間と労力がかかるため、「こんなもんでいいか」というところで妥協するのだ。

 この2つの原理はとてつもなく強力なので、やってもいない犯罪を自白させることもできる。まず、狭い部屋で取調官と1対1にすることで、それ以外に注意を向けることをできなくする。――あらゆる洗脳において監禁が使われるのはこれが理由だ。そのうえで犯罪に至るストーリーを繰り返し提示し、執拗に自白を求めると、脳はその苦しみから逃れるために、「こんなもん化」によって罪を認めるという選択を選んでしまうのだ。

 こうした洗脳を防ぐためにこそ検察の取り調べ可視化が必要なのだが、社会心理学の実験では、陪審員でも、法執行機関の人間でも、刑事裁判所の判事でも、正面からカメラに映されている人物により大きな責任があると判断することがわかっている。これは無意識のうちに、映像の主役=主人公が、よいことであれ悪いことであれ、もっとも重要なことを行なったと判断するからだ。

 この錯覚を是正しようとすれば、取調の可視化は、取調官と容疑者を横から映さなければならない。それができない場合でも、カメラの位置を確かめ、正面から撮られないよう椅子の位置を動かせばそれだけ重要度は下がり、陪審員たちも客観的な評価が可能になるという。


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橘 玲(Tachibana Akira) 作家。1959年生まれ。早稲田大学卒業。「海外投資を楽しむ会」創設メンバーのひとり。著書に『お金持ちになれる黄金の羽根の拾い方』『(日本人)』(幻冬舎)、『臆病者のための株入門』『亜玖夢博士の経済入門』(文藝春秋)、『黄金の扉を開ける賢者の海外投資術』(ダイヤモンド社)など。
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