橘玲の日々刻々 2018年7月5日

「身分差別」の日本的雇用の破壊後に
「金銭解雇の法制化」は可能か?
橘玲の日々刻々]

正社員の過剰な保護が正社員と非正規の「身分差別」を生んだ

 明治時代に制定された民法では、期間の定めのない労働(雇用)契約は、2週間前の予告さえあれば、一方の当時者によっていつでも解約可能とされていた(民法627条1)。そのため、解雇の自由は辞職の自由と並んで保障され、これは戦後(1947年)に労働基準法が制定されたときも修正されなかった。「民法の定める解約の自由は、当事者の意思に反した契約の継続は望ましくないという自由主義的は価値観によるものであったし、戦後制定された日本国憲法の保障する職業選択の自由や経済活動の自由(22条、29条)に根拠をもつものであった」(大内信哉、川口大司「なぜ金銭解雇のルールが必要なのか」)。

 だが1970年代になると、最高裁の判例などによって「解雇権濫用法理」が整備されていく。よく知られているように、(1)人員削減の必要性、(2)解雇回避の努力、(3)人選基準の相当性、(4)手続きの相当性という4つの判断要素に基づき、厳格に解雇の有効性を審査するもので、経営者のあいだでは「いったん雇った正社員は解雇できない」との理解が広がった。この解雇権濫用法理は2003年の労働基準法18条の2に取り込まれ、2007年に労働契約法16条に移行して現在に至っている。

 こうした解雇規制の強化は、年率平均10%に及ぶGDP成長率を経験した1955年から73年にかけての高度成長期に強化されたもので、最高裁の判断やその後の法制化は日本企業(大手)の雇用慣行を追随したものだ。その当時は、新卒で採用した「まっさらな」若者を自社仕様に鍛えていくことが競争力の源泉と考えられていた。

 以下は私見だが、最高裁の判断の背景には、夫が会社に滅私奉公し、妻は家で子育てを専業にする性役割分業があった。正社員(夫)を自由に解雇できるなら、経済的に立ち行かなくなる家庭が続出してしまう。日本社会は、正社員の雇用を保証しつつ不況時には賃下げやボーナスの減額を受け入させ、株主に対しては低い配当率や安い株価に文句をいわせず、すなわち「オールジャパン」で損失を分散して失業率が上がらないようにしてきた。

 だが1990年にバブルが崩壊すると、日本企業はバブル期に大量採用した正社員が重荷になってきた。こうして労働者派遣の規制緩和が行なわれ、正社員を非正規社員に置き換える動きが加速した。とりわけ90年代後半から2008年の世界金融危機に至る10年間は「就職氷河期」で、ここに新卒採用の時期が重なった「ロスジェネ世代」では非正規の比率が大きく高まった。

 これについては「ネオリベ」が諸悪の根源とされるのだが、私は、労働市場の流動化は世界的な傾向で、改革の趣旨そのものは間違ってはいなかったと考えている。だとしたらどこで失敗したかというと、欧米では「リベラリな雇用制度」の前提とされる同一労働同一賃金の原則を徹底的に無視し、正社員を過剰に保護したため、正社員と非正規の「身分差別」という近代社会ではあり得ない事態を招いたことだ。

 解雇権濫用法理では、長期雇用を前提として採用されている正社員を減らす前に、解雇をできるだけ回避するよう努めるべきとされている。「解雇回避努力」では、(たとえ正社員と同じ仕事をしていても)非正規社員を問答無用で解雇(雇止め)することが正当化されるのだ。こうして世界金融危機のようなショックが襲うと、「下層身分」である非正規社員にすべての負担が集中することになる。――最高裁は、解雇権濫用法理で不況期に職を失うのはパートの主婦などだと考えていたため、このようなグロテスクな事態を想定していたわけではないだろうが。

 先進国でも有期雇用の働き方はあるが、何の補償もなく生活の糧を奪われるような雇用契約はあり得ない。このことが国際社会で問題にされそうになって、安倍政権はあわてて「同一労働同一賃金」へと舵を切ったのだろう。

ドイツ、スペイン、アメリカの解雇法制とは?

 海外の解雇法制はどのようになっているのだろうか。『解雇規制を問い直す』では、ドイツ、スペイン、アメリカ、フランス、イタリア、イギリス、オランダ、ブラジル、中国、台湾の制度が取り上げられているが、ここでは最初の3カ国を紹介しよう。

(1) ドイツ 

 解雇制限法によって、使用者が労働者を解雇するためには「社会的に正当な事由」が必要とされており、(1)労働者の一身上の事由(疾病罹患など)、(2)労働者の行為・態度(業務違反や非違行為など)、(3)緊急の経営上の必要性のうち、いずれかに基づくものでないと解雇は無効となり、元の職場に復帰するのが原則となっている。

 その一方で「解雇判決制度」では、社会的に正当な事由を欠く解雇でも、補償金を支払うことと引き換えに労働関係を解消する判決を求める権利を認めている。これは労働者だけでなく使用者(会社)にも適用され、「解雇を契機として、労働関係を将来に向かって継続させることが期待できないほどに、労働者および使用者の信頼関係が崩壊していること」を立証すれば金銭解雇が可能になる。

 現実には裁判上の和解による金銭解決が大半で、2016年には全国で19万6581件もの膨大な解雇訴訟が起きている。そこでは法律上のルールではないものの、実務上の算定式として「勤続年数×月給×0.5」が目安とされている。

 常時21人以上を雇用している事業所が一定規模の人員削減(整理解雇)を行なう場合には、従業員の代表機関である事業所委員会とのあいだで「社会計画」を策定しなければならない。このとき、法律上の定めはないものの、解雇される労働者に金銭補償するのが通例で、「年齢×勤続年数×月給額を一定の係数(50または60)で除する」という算定式が用いられている。


(2) スペイン 

 解雇および金銭解決に関する制度は、労働関係に関する包括的立法であるET(労働者憲章法)によって具体的かつ明確に規定されている。その特徴は、(1)解雇実施前に支払う「事前型補償金」と、解雇訴訟により解雇が不当とされた後に支払う「事後型補償金」が存在すること、(2)事後型補償金について、金銭解決を行なうか否かの決定権が原則として使用者にあること、(3)補償金の計算方法が明確に決定されていることだ。高い失業率に悩むスペインでは、規制緩和によって解雇の適法性に関する予測可能性を高め、企業に雇用を促そうとしている。

 解雇にともなう事前型補償金は「勤続1年につき20日分の賃金相当額、最大で12カ月分の賃金相当額」で、労働者代表との協議を条件に、経済的理由による集団的解雇(整理解雇)も認められている。

 正当な理由なく解雇された場合の事後型補償金は「勤続1年につき33日分の賃金相当額」、能力不足や会社の経営難など正当な理由がある場合は「勤続1年につき20日分の賃金相当額」とされており、解雇によって労働者が被る不利益は定式化された金銭によって解消される。

 これは逆にいえば、使用者側は、解雇が無効事由に当たらないかぎり、不当解雇補償金さえ支払えば、正当な理由がなくても解雇を実施することが可能ということだ。日本的な感覚ではずいぶん理不尽なようだが、曖昧さの残るドイツ型の解雇法制より、金銭解雇のルールを法律で明確にしたスペイン型がEU諸国では主流になりつつあるという。

 なお現在のスペインでは、日本でいう定年制を置くことは禁止されている。


(3)アメリカ 

 「随意的雇用(employment at will)」が原則のアメリカでは、定年制が違法とされる一方、期間の定めのない契約において、各当事者はいつでも自由に雇用契約を終了させることができる。また大量のレイオフや事業所の閉鎖も、60日前に予告することで自由に行なえる。人種差別などを理由にした解雇はもちろん、現行法秩序に反するようなは「パブリック・ポリシー」違反も制限されており、不当解雇の場合、労働者は4年を上限として賃金やフリンジベネフィットの逸失分を受け取れるケースもある(細則は州によって異なる)。

 こうした留保はあるにせよ、アメリカの解雇法制が使用者(会社)に使い勝手のいいものであることはまちがいない。だが仔細に検討すると、解雇を規制するちからも働いている。

 それが失業保険制度で、アメリカにおいては保険料は使用者が全額負担し、労災保険と同様にメリット制(経験料率制度)が採用されている。これは「失業状態を発生させた使用者に、解雇によって労働者に発生するコストを負担させるもの」で、安易に解雇を行なうと会社負担が重くなる。ただし運用実態は州によって異なり、どこまで解雇の判断に影響しているかは一概にはいえない。


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橘 玲(Tachibana Akira) 作家。1959年生まれ。早稲田大学卒業。「海外投資を楽しむ会」創設メンバーのひとり。著書に『お金持ちになれる黄金の羽根の拾い方』『(日本人)』(幻冬舎)、『臆病者のための株入門』『亜玖夢博士の経済入門』(文藝春秋)、『黄金の扉を開ける賢者の海外投資術』(ダイヤモンド社)など。
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