橘玲の日々刻々 2018年7月5日

「身分差別」の日本的雇用の破壊後に
「金銭解雇の法制化」は可能か?
橘玲の日々刻々]

世界では解雇の際の金銭解決をルール化することが主流になりつつある

『解雇規制を問い直す』は、世界では解雇の際の金銭解決をルール化することが主流になりつつあると指摘する。これにはいくつかの理由があるが、もっとも大きいのは(スペインのように)解雇規制の緩和で企業の雇用意欲を刺激し、失業率を低下させようとすることだろう。

 だが経済学者のあいだでは、解雇規制緩和の雇用促進効果には異論もある。企業は「雇用の安定」を名目に労働者に低賃金を受け入れさせることで規制のコストを吸収できるからで、これが世界的にも解雇規制がきびしい日本で一貫して失業率が低い理由になっているのかもしれない。

 しかしそれでも、厳格な解雇規制が採用・解雇をともに減らすことには経済学者のあいだでコンセンサスができている。これも日本の経験と整合的で、社員を容易に解雇できない縛りがあると労働市場の流動性が下がり、正社員は会社というタコツボに押し込められると同時に、非正規から正社員への道が閉ざされ「現代の身分制」が形成される。

 解雇規制が緩和されれば、生産性の低い正社員を一定の補償金を払って解雇し、そこで空いたポストを、能力はあるがこれまでチャンスがなかった非正規社員に与えることも可能になるだろう。解雇ルールの透明性が高まることによって正社員の固定費用が減少し、成長産業を中心に不確実性がある状態でも正社員の新規ポストが拡大するかもしれない。このように考えれば、解雇の合法化こそが格差問題の解決方法になる。

 解雇規制の緩和によって生産性の低い産業から生産性の高い産業への労働移動を促進し、世界的にも低い日本の労働生産性を高める効果も期待されている。たしかにアメリカの州ごとに異なる解雇規制の強さを用いた実証分析では、解雇規制が厳しくなると企業の参入・退出が抑制され、生産性の指標として用いられる全要素生産性(TFP)の伸びが抑制されるとの結果がでている。

 だが、労働者が生産性の高い業種に移動することが常に好ましいわけではない。日本の場合、製造業の生産性は高くサービス業の生産性は低いが、効率化の進む製造業より介護などのサービス業への労働需要が大きく伸びている。こうしたケースでは、生産性が高い業種(製造業)から低い業種(サービス業)への労働移動が望ましい。解雇規制緩和の目的は労働生産性を高めることよりも、労働需要が減退している産業から増加している産業に労働移動を起こすことなのだ。

 日本が先進国でも厳格な解雇規制をもつことは、外国からの投資にマイナスになるとの指摘もある。「企業経営が悪化したときでも、必要な雇用調整をやりにくい法制をもっていることは、日本企業の対外的なアピールを弱めている」というのだ。

 そういうこともあるだろうが、これは労働市場がグローバル化するなかで、世界の主流(グローバルスタンダード)と異なる雇用制度を維持することが困難になっているということではないだろうか。

 中国に進出した日本企業は、「中国経済の減速」を理由に大規模な整理解雇や工場の閉鎖を進めており、これに労働者が抗議すると「中国リスク」と文句をいう。だがいまでは、中国企業が日本企業を買収したり、日本国内で事業を行なうこともふつうになった。こうした中国企業が日本で整理解雇を実施したときに、解雇権濫用法理で違法にすれば、日本企業が中国で行なっていることとの整合性が問われることになるだろう。「国籍差別」の批判を免れようとすれば、世界標準の解雇法制を整備する以外にないのだ。

 2012年度の厚生労働省「雇用動向調査」によれば、2012年1月1日時点で雇用されている常用労働者4603万人のうち年末までに713万人が離職し、年間の離職率は15.5%にも及んでいる。その一方で同じ1年間に入職した者は798万人で、入職率は17.3%だ。「日本の労働市場は流動性がない」というが、それでもひとびとはそれぞれの理由で会社を辞め、再就職している。

 現状では、会社も労働者も、明確なルールがないまま解雇をめぐる紛争に対処しなくてはならない。それでも大企業の労働者(正社員)は組合に守られているが、中小企業では実質的に「解雇自由」になっており、なんの補償もないまま職を失う者も多い。そんな弱い立場の労働者にとっては、金銭補償の水準が法律に明記されることは大きな利益になるだろう。

 本書をきっかけに日本でも、長年のタブーを打ち破って、金銭解雇の法制化に向けた現実的な議論ができるようになってほしい。
 

 

橘 玲(たちばな あきら)

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 作家。2002年、金融小説『マネーロンダリング』(幻冬舎文庫)でデビュー。『お金持ちになれる黄金の羽根の拾い方』(幻冬舎)が30万部の大ヒット。著書に『「言ってはいけない 残酷すぎる真実』(新潮新書)、『国家破産はこわくない』(講談社+α文庫)、『幸福の「資本」論 -あなたの未来を決める「3つの資本」と「8つの人生パターン」』(ダイヤモンド社刊)『橘玲の中国私論』の改訂文庫本『言ってはいけない中国の真実』(新潮文庫)など。最新刊は、『朝日ぎらい よりよい世界のためのリベラル進化論』(朝日新書) 。

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橘 玲(Tachibana Akira) 作家。1959年生まれ。早稲田大学卒業。「海外投資を楽しむ会」創設メンバーのひとり。著書に『お金持ちになれる黄金の羽根の拾い方』『(日本人)』(幻冬舎)、『臆病者のための株入門』『亜玖夢博士の経済入門』(文藝春秋)、『黄金の扉を開ける賢者の海外投資術』(ダイヤモンド社)など。
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